素晴らしい民営図書館
民営化とは、公営のものを民営にすることを普通言う。
公立図書館については、私はこれははっきり反対である。
しかし、民営図書館を価値がないと思っているわけではない。はじめから民営の図書館で素晴らしい図書館はいくつもある。
まず、いわゆる「公共図書館」というよりも、「専門図書館」である、多くの私立の図書館だ。これらは宗教関係の団体だったり、企業だったりする。ただ、残念なのは、企業の場合、安定的に継続することが難しい場合があることだ。
それから、一般の市民がやっている図書館というか図書室もある。これは本当に頭が下がるような苦労をされている。
あと、非常に有名なのだが、大宅壮一文庫がある。これは、ジャーナリストの大宅氏のコレクションから出発しているが、まともなマスコミ人なら皆、お世話になっているだろう。私が非常に印象に残っているのは、ここに電話したときに、あちらのスタッフの方が、本来はこういうことは公でやるべきことだと言われたことだ。本当に私もそう思う。それだけ、民間の資金だけで、ああいう事業をするのは大変なのだ。
今はなくなってしまったが、大橋図書館という民営図書館が戦前存在した。今、同名の図書館もあるが、それは地域の名前で関係ない。この民営の方の図書館は、出版社の博文館が経営しており、現在の公共図書館では一般的に行われている予約(リクエスト)や、現在の公共図書館でも十分でないレファレンスのようなサービスを行っており、大変、注目に値する。
詳しいことは、図書館の歴史の本にあたっていただければ、書いてある。ウェブサイトにはあまり詳しい情報はないと思うので、図書館関係の図書や雑誌を検索して見てほしい。絶版の本も多いだろうが、それこそ図書館を利用すれば入手できると思う。
最近、イトーヨーカドーの図書館もなくなってしまったそうだ。以前から、注目していたのだが、自分の住んでいる地域にはないもので、一度、見よう見ようと思っているうちに機会を逸してしまった。いい取り組みだと思っていたので、残念だが、会社にも会社の事情があるのだろう。
やっぱり、民営の図書館の最大の難点は、いつまで続くかという点である。他の事業ならば、必要な期間、やっていればいいというところがあるが、図書館の場合、もともとコレクションを構築するという大きな機能があるので、継続性や安定性、とくに財源面と人事面でのそれは、極めて重要である。一般的には、人事異動は良しとされるが、図書館の場合、本当に適性と能力のある人であれば、長く居れば居るほど、コレクションに精通するので、最終的には生き字引のような存在になる。本というのは、一種、人格を持った存在なので、何十万、何百万冊もある図書というのは、何十万、何百万という人を相手にしているようなところがある。決して、狭い世界ではないのである。
しかし、民営の図書館の最大の魅力は、公立図書館のように、公共性だとか公平性などにこだわらなくてもいいところである。民間でも公共的なものや公平なものを実現できないわけではないが、むしろ、民間の図書館はそうでないところにこそ魅力がある。
ステータスを強調して、思いっ切りおしゃれに作って、そういうステータスを感じさせるコレクションしか作らない図書館。とにかくベストセラーばかり揃える貸本屋。まんがだらけで、夜、寝ることもできるまんが喫茶。また、特定の宗教の本を山のように持つ図書館。こういうのは民間だからこそできることである。
かつて、ある人に、エロ本やエロビデオばかり集めた図書館をつくるべきだと言われたことがある。総ての資料を収集しようと思えばそうなのだが、納税者の大方の賛同を得るのは難しいだろう。国会図書館のように、全点収集が基本で、未来の人々に向けても、良いものも悪いものも遺産を残さなければならないところは別として、普通の自治体の図書館として、そのようなことをするのは馬鹿げている。しかし、民営ならできる。いや、民営でそういうことをするところが現れないと、後世には残らないだろう。
浮世絵のように、その時代にはエロ本でも、今となっては、文化遺産になるものもあるのは事実である。
私としては、民間活力というのは、本質的に、こういう「できる限りの自由さ」にあると思う。ただし、財源を確保するのが大変だし、それを、会費や利用料等に求めるのであれば、市場原理が働き、それにそぐわないものは無理ということになる。
かたや、公営の図書館の場合、納税者の大方の了解がとてもとれないものをたくさん買ったり、極端なサービスをすることは難しい。だから、昔は、まんがなどは置きにくかった。今は、団塊の世代以下では、まんがはむしろ好きな人の方が多いので、公立図書館で置いても歓迎はされても非難されることはほとんど皆無である。新聞等のマスコミ報道でも、図書館でまんがを置くことについて批判しているものは見たことが私はない。
一方で、ベストセラーを買いすぎだという批判は随所にある。ただ、これは非常に頭を抱える問題で、その一方で、もっと図書館からベストセラーを借りたがる人もたくさんいる。こういう時には、公平性の原理によって対処していくしかないので、ほどほどになってしまい、これが、ベストセラーを図書館に置いてほしい人にもほしくない人にも消化不良の感を起こす。社会の状況がこういう場合には、その両方の極端を実現するには、民営(ただし、税金が投入されていない、完全に独立しているもの)の方ができる可能性はある。
私は、民営図書館に反対なのではない。公立図書館を民営「化」することに反対なのである。別な言い方をすると、民営図書館・私立図書館はできるだけ自由に作られるようにした方がいいが、一方で、公共性と公平性を実現する公立図書館というチャネルは一定、確保しておかなければならないということなのである。
この説明は、大変、長くなるので、今後、少しずつ、記事を作成していきたい。
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