図書館の公共性とは知の公共性である
図書館の公共性とは、煎じ詰めれば、知の公共性である。
ゲーム理論だの、経済学だの好きな人は、すぐ、情報の対称性だの非対称性だの言うが、はっきり言って、情報が対称であるわけない。情報は非対称だからこそ、そこにコミュニケーションが発生するのだ。ある人にとっては新しくないことでも、他の人にとっては新しいのだ。
図書館なんか、ある意味では、既知のものばかりである。しかし、それは、人類社会全体として既知というだけであって、個々人にとっては異なる。
出版はパブリッシュというように、公共的なものだが、読書は私的なものである。図書館は「社会知性」であり、マスコミュニケーションをパーソナルなコミュニケーションに、また、その逆に変換する装置でもある。要するに、知のリサイクル、知のエコロジーが存在している。だから、単なる「消費」ではないのだ。
とりあえず、これから「読書」の歴史を始めてみよう。
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