2006年12月29日 (金)

アレクサンドリアの図書館

 プリオンさんは、アレクサンドリアの図書館がローマに火をかけられて焼失したことを書いているが、実際は、クレオパトラ7世のときの火事で多くの書物が焼けたにしても、図書館の組織自体は残っている。その後、衰退していき、いつごろなくなったのかははっきりとはわかっていないらしい。コレクションからローマが持って行ってしまったものも多いだろう。
 私が雲散霧消と書いたのはそういう意味だが、ローマ自体も結構立派な図書館を持っていた。ローマの公衆浴場の施設として図書館が併設されていることも結構あった。これは、一種の公共図書館の走りだろう。
 だから、ローマが図書館を大事にしていなかったわけでもなく、私の言いすぎかもしれない。
 ところで、ムバラク大統領が進めた新アレクサンドリア図書館プロジェクトは、先進国からかなり金を集めており、ヨーロッパの貴族なども金を出していると聞く。日本も実は、相当な額を出している。それはそれでいいことかもしれないが、自国の図書館にももっと金を配分してほしい。

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図書館の公共性批判への反論

番号をつけた直後の文はプリオンさんの引用です。

1 知的労働が嫌い・苦手な人は低所得になりやすいので、読書をする比率は低所得より高所得が多くても不自然ではない。とすると図書館は所得再配分どころか逆に広げている可能性さえある。

 これは、有名な貧困の悪循環の理論みたいなものだが、この悪循環を絶つために、公教育の必要性が言われるわけである。知的労働が嫌い・苦手になる前に、つまり、幼児・児童のときからの読書への導入に公共図書館は大変力を入れている。また、公共図書館の場合、読書が苦手な人でも読みやすいけど役に立つ本(図解なんとかシリーズとか、猿でもわかるなんとかとか)はとくに気をつけて選定している。

2 もし貧乏人が本を買えないとか進学できないというのを懸念するなら、奨学金などの形で現金を与えた方がいいだろう。

 これは貧乏人の悪い習性をご存知無い方の言い方。貧乏人は現金をあげると、酒かギャンブル、ゲームなどに使ってしまう。

3 図書館にほしい本が置いてないとか書籍よりネットにほしい情報がある場合も同様の問題が起こる。逆に役に立たない本にばかり税金をつぎ込んでしまう可能性もある。貴重な森林資源・エネルギーの無駄である。

 図書館にほしい本が置いてない場合には、予約(リクエスト)というシステムがある。市町村や特別区の図書館だったら、都道府県立図書館から借り受けたり、相互に資料の貸借をしている。

 役に立たない本ばかりに税金をつぎこんでいるきらいはあるかもしれない。この点については有効な評価システムの確立が必要だろう。しかし、これは実に印象的な言い方で、客観性はない。あべこべに、民営化した場合、役に立つ本に費用を集中して投入できるわけではない。はっきり言って、役にも立たないベストセラーばかり予約が多いから。たくさん買っているようでも、公共図書館は、これらの購入はかなりセーブしている(だから、なかなか順番がまわってこない)。

 資源の無駄のことを言うんだったら、みんなでひとつの本を分け合って読んでいる図書館の方が無駄はない。それに、現在は、リサイクルされた紙がかなり使われている。

4 図書館は出版された本の全種を買うわけではなく、どれを買うかは図書館の中の人の裁量だが、役に立つもの公共性の高いものを選択できているというのはどうやって判断しているんだろうか?

 通常は選定(収集)基準や選定(収集)方針を持っている。これらは当然に公開されるべきものである。

5 借りる人がおらず、本屋では売れないようなものを図書館が購入する癒着・利益誘導まがいの事はないんだろうか?

 これは、あべこべに民間委託された場合の方が危険がある。なぜなら、受託している会社がまさに、本の取次を行っていたり、本の販売も行っていたりするところがあるからだ。

6 さらに図書館が無料で貸し出せば、本が売れにくくなり、著作者や本屋の収入が減るという民業圧迫が起こる。結果として本を書こうとする人売ろうとする人が減り、科学技術分野へもマイナスの寄与となる。これでは有効な投資どころか有害な投資である。

 民業圧迫するほど、図書館に資料費はない。2005年の実績で言えば、まんがや学習参考書などを除いた図書を1タイトル1冊ずつ全部買えば1億7千万円ほどかかる。しかし、日本の公立図書館の半分くらいは年間の資料費が1千万円に満たない。そして4分の1は500万円にも満たない。
 それから、現在、日本の公立図書館は2千あまりだが、出版する方から言えば、1000部とりあえず売れれば、儲けが出て事業は成り立つ。出版社はほりえもんなどと違って、どこまでも金もうけしようという意図で事業をしているわけではないので、むしろ、儲けが出て、なおかつ、文化の普及に貢献できることを望んでいるので、あべこべに図書館がたくさんできて買い支えてくれる方が助かるのが実情。
 それから、著作者の権利について言えば、確かに、一部の物書きが騒いでいたが、地道なルポルタージュなどを書いているフリーライターなどは図書館のヘビーユーザーである。公立図書館のように無料で大量の資料が利用できるところがなくなると、これらの人は大変困る(大学関係者でもないから、大学図書館も簡単に利用できない)。

7 図書館の民営が良いか公営が良いか以前に存在そのものがよくないんじゃなかろうか。
 図書館より現金ばら撒き福祉のほうがはるかにマシだろう。

 図書館の存在そのものがよくないとは浅はかすぎて返す言葉もないが、こういう人はウィキペディアと電子ジャーナルで何でも調べることができると思っているのだろうか?
 現金ばら捲き福祉が悪いのは、だいたい福祉にお世話になる人の性として、ろくなものに使わないからである。
 それに、最低限の教育をあらゆる形でしておけば、福祉のお世話になる人を減らすことができる。要介護になってしまう可能性の高い脳卒中などは、生活習慣や食生活の改善でかなり予防できる。このような本は公立図書館で大量に用意している。公立図書館としても、なる前からそういう本を読むようにプロモートすることが必要だろう。

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2006年12月22日 (金)

図書館の「民営化」という馬鹿馬鹿しさ

 公立図書館への委託や指定管理者制度の導入が流行っている。
 こういう民間信仰に基づく民間療法が流行っている。

 図書館というものは、もともと、誰がやってもよいもので、営利でやろうとそれも勝手だ。個人だろうと民間だろうとできる。それでお金もうけをしても悪くはない。もともと規制など存在しない。

 しかし、公立図書館、つまり、自治体が設置する図書館についてはサービスの対価をとってはならない(無料であること)が定められている。もっともこれは、金がかからないことを意味するわけではない。要するに税を中心としたものでまかなうことが述べられ、それは、受益者負担ではなく、サービス自体が公共財であり、所得の再分配機能を担うことを示している。なぜなら、図書館サービスは仮に利用しない人がいたり、また、利用度に差があったにしても、自分が利用しなかったことについても、自分にも公益がまわってくることがあるからである。平たく言えば、自分が読んでもとうてい、わからないような高度に科学的な本であっても、それを税金で購入し、そういうものを学習したいと言う人があまり高価なので自分で買いきれないなどと言う場合に、その人が図書館からそれを無料で借り、たくさん勉強した成果として、その科学の分野に寄与したり、また、それを応用した製品や商品などをつくったりして、社会に還元すれば、図書館サービスはただ消費されたのではなく、有効に投資されたこととなり、その本を読まなかった自分にも便益がめぐりめぐってくるということである。

 つまり、図書館が無料であるのは、ばらまき福祉ではなく、より大きな公益のためであり、図書館という存在が非常に公共性の高いものであるとの認識からなのである。

 それで、概念上、区別されうる公立図書館と公共図書館が一致した存在としての図書館が非常に大きな意義を持つのである。

 そういう「公立」「公共」の図書館をわざわざ「民営化」するというのは、その本質自体を殺すことになるので、自殺行為である。これは、公立公共図書館を潰すということと同義である。

 民営でやりたいなら、私立または企業体で、何も公共性など考えずに利益になるターゲットに絞って営業すればよい。

 公立公共図書館では、それではできないこと、また、それでは、公益として社会にフィードバックできないことを行うのである。

 国鉄民営化を思い出して欲しい。国鉄民営化などという前から、私鉄はあった。民間の事業で成り立つなら私鉄で行えばよいのである。国鉄の借金は結局、国民が払わされて、しかも、JRになってかなり廃線になった。結局、民営化じゃなくて、廃止なのである。これからも第3セクターになったところなど危ないだろうし、さらに廃線になるところも出てくると思う。

 鉄道を勝手に過去のものとしてしまったが、その選択は本当に正しかったのだろうか? 酒も飲めない、歳をとったり、体が不自由になれば容易に運転できず、また、自分が家族をのっけて運転する立場なら、多くの自分の時間や空間の自由が奪われる自動車が本当にそんなに便利か?

 図書館をなくして、すべてインターネットにすれば、それは本当に便利になるだろうか? そもそもそこまで便利なインターネットのネタはどうやってつくるんですか? ここまで図書館を愚弄した国はやがて滅びるだろう。アレクサンドリアの大図書館を雲散霧消させてしまった国が滅んでしまったように。

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