書店や図書館がなくなる日
タイトルのような日は実際、来るかもしれない。
インターネットや電子書籍や電子図書館のコンテンツが充実し、また、その信頼性も向上し、ブロードバンドがもっと普及し、電気もあまり食わないで済むようなものが開発され、電子ペーパーも高度化し、紙のように折り畳めるデバイスもできたといったような時代になれば、もう、近所の図書館や書店はいらなくなるかもしれない。
かわいい司書さんでもいれば別だが、うっとうしい奴しかいなかったら、そっちの方がマシだと思う人もいるだろう。
そういう時代になれば、自分は失業するが、国民の利益を損ねてまで、自分の職に固執するつもりはない。
ただ、どうしても言っておきたいのだが、そういう状況を創り出すためには、むしろ、今の図書館や書店を大事にしなければならないということだ。
国立国会図書館には膨大な資料があるから、これを電子化すればかなりのものは電子化されるだろう。しかし、地方の図書館にしかない資料もたくさんある。また、日本人が本好きなのは、ひとえに書店さんのおかげである。電子書籍にしようとなんだろうと、読む人自体が減ればビジネスとしては成り立たなくなる。今まで紙の本を全然読まなかった人がある日突然、アマゾンから買うようになったなんて考えにくい。
電子書籍もしかり。
書店というのは、いやがおうでも見えてくるから、地域の文化センターみたいな位置づけはあるわけだ。
なんでもかんでもネットで取り寄せるようになると、そのうち、自動車依存さえ廃れ、引きこもりのように建物の中にいて丸太ん棒のように太ってしまうのではないだろうか?
そうなると、生きている間、ほとんどパソコンの画面を見ている人間ばかりになったりして。そういう人、すでにいると思うが。
すでに音楽分野は電子図書館状態だ。ただ、生の演奏の魅力は消えていない。もしかしたら、朗読文化や語りの文化が復活したりして。本来、物語はそういものを写し取ったものだ。
進化は必要なんだけど、今までのものをすべてサンク・コスト扱いするのはどうかと思う。大事にしていきたい何かはある。空間や場があるということは意外と重要な要素だ。これからの図書館や書店は人と人の出会いを大事にしていった方が存在価値はありそうである。
| 固定リンク | コメント (1) | トラックバック (0)
最近のコメント