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2010年9月21日 (火)

図書館の本棚と書庫

 どうも、いろいろな人と話してきて、図書館の本棚と書庫について根本的な理解不足があるのではないかと思った。本棚とか書庫とか言っても、常に利用する人がいるので、ただの物置ではない。
 したがって、頻繁な出し入れも想定しなければならない。もちろん、程度の差はあるから、あまり出し入れのないものは、集密書庫だのに入れてもいいのだが、これだって、よく、ほかの職員とかちあう。そのときは、相手が出し終わるのを待っていなければならない。
 ひどい人は、図書館の本棚を端から端までぎゅうぎゅう詰めにするものだと思っている人がいる。納まりきらなくてぎゅうぎゅう詰めになっている図書館はあるが、これはいい状態ではない。なぜなら、これでは新しい本を入れられないからだ。
 図書館の本棚は基本的に分類順だ。受け入れ順ではない。分類順の方が同じテーマで本が探せて便利だからだ。利用するための本棚であって、ただの本の置き場ではない。受け入れ順で管理する方法もないわけではないが、昔から言われながらちっとも流行っていない。よほどできのいい検索システムが必要だが、本棚の前に行って、中身をぱらぱらと見る方が速いのである。受け入れ順で効率的なシステムはせいぜい自動書庫だが、これも疑問符だ。売っている人には申し訳ないが。よっぽどの大規模図書館で予算があり、利用者が自分で検索する能力の高いところでないと無理だと思う。

 高知の話は駐車場と書庫でもめているが、どうも「書庫」という言葉がよくないのかもしれない。

 駐車場に例えればいいかもね。船積みするくらい狭い駐車場だったら、出し入れに困りますよね。駐車場と言っても、車を置くスペースだけでなく、車を出し入れするスペースも必要です。書庫も同じなんです。

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2010年9月20日 (月)

道州制と県立図書館

 もしかしたら、高知県と高知市の図書館一体化は道州制をにらんだものなのかもしれない。道州制になれば、県はなくなってしまうから、そのときは、単に高知市立中央図書館とかにするのかもしれない。
 それで、どこかの州立図書館に市町村支援はバトンタッチ、郷土資料も何も渡すということなのかもしれない。
 確かに、郷土資料などは、きちんとした管理をするためにはお金がかかるから、貧乏県は関わらない方がよいのかもしれない。ただ、高知市関係は残るだろう。やっぱり管理にはお金がかかるか。
 しかし、四国州立図書館か、中国四国州立図書館は、高知の山の中まで面倒見れるのかなあ?

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2010年9月19日 (日)

コンパクト・シティと図書館

 私は以前、車など嫌いだとさんざん書いたが、いくらなんでも地方の県立図書館に駐車場がないというのは無謀だと思う。それでは、図書館に来るなと言っているのと同じだ。車を使えない人だって、バスに乗って行けるようにしておけばよい。ただし、障害者が乗れるバスにしておくことは必須だ。
 コンパクト・シティという発想は目指すべき発想だが、県立図書館とそれをいっしょにするのは極めて変だ。どうしても規模を大きくせざるを得ないものを小さな中心市街地に持っていくのは、むしろ間違いだ。
 高知県立図書館というところは、都道府県立図書館でもっとも小さい。
 現状が小さいから、県立図書館は本来、大きいものだということを当地の人は知らないんじゃないだろうか?
 でも、知事などは東京の大学に行っているのだから、知らないはずはないと思うのだが、とても不思議だ。
 大きなものに「コンパクト」になれというのは魔法じゃあるまいし無茶な相談だ。
 中心市街地のように建てこんでいるところには、図書館の分館などを持ってくるのが一番良い。あるいは、商店街の空き店舗そのものを商店街の図書館にしてしまえばよいのだ。こういうのはNPOが運営してもよいと思う。もっと商店街そのものが主体的にならないと、どうせダメだと思う。行政のハコモノに期待する商店街なんてダメだと思う。
 コンパクト・シティというのが、何か商店街の活性化といっしょくたになっているが、厳密には区別されるべきだ。生活の利便性を考えると、いちいち車に乗らなくても、ある程度用が足せるということが重要なのだ。だから、図書館などは、市町村でも分館も含めたくさんつくるべきだし、そこに本を貸す県立図書館は多量のストックのために、むしろ郊外にでも建てた方がよいのだ。そんなに県立図書館が前面に出てくることはない。
 たぶん、田舎で図書館が身近になく、図書館を利用するということは、近くの図書館を通じて、日本全体の図書館を利用するということが定着していないのだろう。だから、ビッグな図書館が街の真ん中にできることの方を選んでしまうのだろう。典型的な地方のダメパターン思考だと思う。古臭い考え方だ。

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高知県というのは不思議な県だ

 高知県が高知新聞に全面意見広告を出したそうだ。その内容は県市合築図書館を推進する内容だそうだ。
 なんか、あからさまなマスコミ・コントロールでびっくりする。全面広告だと100万円以上かかるそうだ。一般人にはできない。こんな権力的なことするんだ! さすが上士・下士の土佐藩だな・・・ とさえ思ってしまう。
 こんなことされたら、よくわからない人は言いなりだろう。ヒトラーばりのPR戦略だな。高知県というのは賢いのかアホなのかよくわからないところだなあ。高知でなくて狡知なのだろうか。だとしたら、住民はたまらない。山内家の子孫がまだ支配でもしているかのようだ。それはないと思うが・・・ あとで藩知事になった山内家の人は、半平太切腹を防げなかったことを後悔していたそうだから、それならそれで、そんなひどいことすまい。
 うーむ。日本に哲学なしと言った中江兆民は、本当は、土佐に哲学なしと言いたかったのか。自由民権運動が活発だったのは、あまりに不自由だったからなのか。坂本龍馬が飛び出したのは、あまりに窮屈で狭苦しいところだったからなのか。

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2010年9月17日 (金)

図書館をいっしょくたにする発想の行き着く先

 県立図書館と市立中央図書館を一緒にしていいという発想が蔓延すると、いろいろな悪影響が考えられます。まず、県立図書館の分館などがある地域で市町村立図書館は要らないとか、これまた一緒くたになんていう話が出るかもしれません。鹿児島県立図書館の奄美分館は廃止が反対され存続になりました。これ自体はいいと思いますが、これで、奄美の市町村の図書館がしょぼくなったらおかしな話になります。
 実は、東京の港区の図書館もお金がある自治体のくせにいまいちしょぼいのです。港区には都立中央図書館があります。何かこれを言い訳にして港区が図書館から手を抜くといやな気がします。
 それから、千代田区には国立国会図書館があります。
 長らく、千代田区の図書館はたいへんしょぼいものでした。今、千代田区立の図書館は脚光を浴びていますが、どうも、ミーハーなネタで、本当に千代田区民のためになっているのか疑問があります。
 やっぱり、市区町村の図書館は泥臭いくらい地元密着であるべきだと思います。
 一方で、都道府県立の図書館はそういう泥臭い図書館のできないことをやるべきだと思います。たとえば、外国語の本をたくさん揃えるなどです。地元に外国人が多いところでは、外国語の本を揃えるのも泥臭い仕事ですが。まあ、都道府県の場合、研究レベルにも使える外国語の本ということでしょう。もちろん、大学図書館にもそういうものはあるのでしょうが、大学のものは、大学の人に絞りきるまで使わせて、日本の頑強な知性を育てなければいけません。だから、大学に属していない人のために公共図書館はがんばるべきです。いくら、大学が地域「開放」とやらをしても、それはあくまで「開放」なのです。

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2010年9月15日 (水)

県市統合図書館のねらい

 高知の県市統合図書館というのは、本当によくわからない構想だが、これは、たぶん、指定管理者導入を狙っているのではないか? 一部事務組合を作ったとしても、そこから、また指定管理に出すということもできるのではないか?
 しかし、そうだとすると、ずいぶんと図書館を軽視したものだ。土地柄なんだろうか? 高知市民図書館は、今の貸出重視で、文化人とか知識人とかいう宇宙人のような存在だけでなく、みんなが使える図書館を切り拓いたパイオニアなのにねえ・・・ 日が昇ったところに日が沈むのか・・・

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2010年9月14日 (火)

高知県は県立図書館と市立図書館をいっしょくたにするそうな・・・

 図書館の複合施設というのは、あんまりよくない場合が結構あるのだが、これは極め付き。高知県は県立図書館と市立図書館を統合するそうな。市町村同士ならともかく、県と市というのは、まずいんじゃないだろうか。田舎の人の考えることは、ときどき想像を超える。

 だいたい、県立図書館は先にあったんだろうから、そのとき、では、なぜ市立図書館をつくるという話になったんだろうか。そのときの行政判断は間違いということか? 時代が変わったからというのは理由にならないと思う。どう時代が変わったというのだろう。県と市の図書館は、以前と比べて、違いが鮮明になってきたわけだし、いっしょにするという発想自体がかなり古臭い発想だと思う。

 申し訳ないけど、やっぱり、田舎は発想が後進的なところがあると思う。

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