« 2006年7月 | トップページ | 2006年9月 »

2006年8月25日 (金)

出版年は大事な情報

 図書館で、本を借りたり予約する人で、出版年にまるで無頓着な人がいる。
 これは危ない。
 資料を検索すれば、目録データに出版年がある。これは必ず確認すべきである。今回、冥王星が惑星からはずれたように、世の中は大変、変化するのである。
 成人病は生活習慣病になったし、精神分裂病は統合失調症になったし、痴呆症は認知症になったし、知恵遅れなんて言ったら今、大変だし。こういうのは、ことばだけでなく中身も変わっているのだ。
 恐竜なんか学説がどんどん変わっている。
 本の内容は、すでに過去のものという認識でいた方がよい。年々歳々、本当に変化があります。法律もばんばん改正されています。歴史も書き換えられ、変わらない分野の方が探すのが難しいです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年8月24日 (木)

仲間はずれの冥王

 冥王星が惑星からはずれた。またもや、本を書き換えなければならない。図書館でも子ども向けの科学の本はみんな換えなきゃ。といったってできるわけない。やれやれ。
 こういうのをごちょごちょいじるのって迷惑なんだな。だったら、はじめから惑星にしなきゃよかったのに。
 惑星の定義なんて文化的・歴史的ないきさつでかまわないと思うんだが。だいたい、惑星という言葉自体、天動説的な認識だろうが。もっとも、プラネットという言葉もそういう意味があるのかな。
 こういうところ、自然科学者と人文学の人間とのへだたりを感じてしまう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年8月22日 (火)

図書館が無料であるわけ

 公立図書館は、図書館法で無料でなければならないことになっている。私立図書館はお金を取ってもよい。無料と言ったって、費用がかからないわけではない。税金によってまかなわれている。
 公立図書館が利用されすぎて困るものであるならば、無料であるということはない。どんどん利用されるべきものであるから、無料であるのだ。国民・住民が何かを知ったり、学ぶのに、いちいちお金がかかるのでは、主権在民など成立しない。それに、自己責任社会だの言われたって、情報アクセスが公平でなければ、責任は問えない。社会格差をなくす基本は教育だが、結果はともかく機会は均等に与えられなければならない。努力するための条件から差をつけられてしまったら、それは「良い社会」では決してない。公立図書館が無料であるというのは、至極当然のことなのである。
 そんなことを言ったら、きりがないという人がいるが、きりはある。年間1億7千万円あれば、とりあえず、全部の本を1冊ずつ買える。この金額は高いように見えて高くない。これが高くないという証拠を見たいという人は、土木・建設関係など、役所の他の予算を見てみればよい。
 ひるがえって、本くらい自分で買えばいいだろうという人がいるが、一所懸命勉強して、3000円くらいのきちんとした本を年間30冊くらい買ったら、もう9万円である。9万円くらいどうにかなるだろうと言うだろうが、年収100万円に満たない人にそんなこと言えますか?
 ところで、水道だの公共交通だのが無料でないのは、利用されすぎると困るところもあるからだろう。こっちの方はきりがないわけじゃないが、きりまで来てしまったら困るのだ。
 医療が無料じゃないのも、そういう要素があるのかもしれないが、医療を病気を治すというより健康を管理すると考えれば無料であってもよいような気もする。ただし、これは理屈の上だけで、実際には支えきれないと思う(もっとも、キューバみたいな共産圏などでは実際に無料のところもある)。しかし、高度な医療になると保険が効かず、貧乏人は死ねと言わんばかりなのはどうにかした方がいいと思う。
 学費は基礎教育が無料なのは当然にしても、高等教育についても、無料のチャネルをつくるべきでないかと思う。まあ、実際に入学しないでただ見ているだけだったら、放送大学は限りなく無料に近いが。
 社会教育が簡単なことばかりやっていないで、非常に高度なことも取り扱うべきなのではないかと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年8月17日 (木)

平和を実現するには

 平和を実現するのは難しいことだと思っている人がいる。しかし、それは極めて簡単である。戦争とは紛争そのものの究極であって、それが紛争の解決手段などであるわけがないということをしっかり理解すること。また、戦争は、そもそも何も解決しない、一方がもう一方を滅ぼすか支配するまで終わらないものだということを理解することで十分だ。

 戦争などというものは、必ず勝つ見込みのある強者の論理であり、また、自分自身は死ぬ危険性のない人間が自分の権益を守るために、他の人間を戦わせているに過ぎないということである。戦争というもの自体が、暴力や殺人の「委託」事業であり、「人材派遣」なのである。

 だいたいAという兵士が敵のBという兵士に具体的な恨みがあるなんていうことは滅多にない。見ず知らずの人間であり、たいてい若者であり、はなはだしい若者差別の思想が戦争である。

 はっきり言って、戦争なんかするくらいだったら、個人的決闘の方がはるかにマシである。

 もうひとつ。平和を実現するためには、自分が弱者であることをしっかり自覚すること。それからまた、強者というのは、討ち滅ぼさても、自壊していくものだという法則を理解することである。確実に負ける戦いをしても仕方がない。また、強者はその強さゆえに必ず滅ぶのである。歴史を見ても強大な帝国ほど没落している。むしろ小国の方が、どうしてこんなに長持ちしているのだろうというところがある。国の安寧を考えるならば、大国になるよりも小国である方がよいのだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

図書館、知性の最大の敵は戦争

 テレビ番組「オーラの泉」を見ていたら、機銃掃射の話をしている。機銃掃射については、父母も話していたし、以前、上司であった館長も話していた。パイロットの赤毛がすごい印象に残っていたと言っていた。
 面白がって人を殺す。そういうことになるのだ、戦争は。

 やたらと勇ましいことばかり言う人は、徒手空拳でどのように闘うのか教えて欲しい。逆に、徒手空拳の相手に圧倒的な戦力で殺戮することの、どこが勇敢なのか教えて欲しい。

 戦争が紛争解決の一手段などというのはとんでもない詭弁である。そもそも戦争など詭道なのである。武士道とは卑怯者の道である。そこのところよく理解しておかないといけない。

 戦争とは知性の停止である。文明の脳死である。だから、図書館という知性にとっては、最大の敵である。火事や水害や地震、シミやゴキブリ、そんなものよりもはるかに大きな敵なのである。

 古代文明でものすごい図書館を持っていたところは複数あった。しかし、それがなくなってしまったのは、やっぱり戦争という要素が最も大きい。

 戦争とは知性と自由の死なのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年8月15日 (火)

総理でなくても靖国神社を参拝する人の気が知れない

 総理が参拝するとか、公式とか私的とか、そんなこと以前に、靖国神社などに参拝する人の気が知れない。確かに東京裁判は一方的な裁判であった。いわゆるA級戦犯の中にも、本当にそれに該当するか疑わしい人もいるかもしれない。
 しかし、明らかに、戦争の責任者はいるのである。
 そして、あの戦争は明らかに誤りである。それは、アジアの解放とか、いろいろな大義を言ってみたところで、実際には、その大義にも反していたのだから、誤りである。だから、右から左まで、どのような立場でも、あの戦争を正しい選択だったとする人の気がしれない。あれだけの惨禍を招き、日本滅亡寸前にまで追いやった罪は大変重い。
 そんな重い罪の人間と、私の親族にもいる戦死者を一緒くたにされるというだけで、甚だしく不愉快である。私の親族で亡くなった方は、輸送船に乗っていて、撃沈されたそうである。骨も何にも返ってこず、紙切れ一枚で召集され、亡くなっても、戻ってきたのも紙切れ一枚だった。
 一体全体、明らかな犯罪者と戦死者が一緒に祀られているのに、なんで、日本国民として不愉快にならないのだろうか? 根本的なところで疑問である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年8月 2日 (水)

委託というものの危険性

 シンドラーのリフト、ふじみ野市のプールの事故というより事件、スペースシャトルの事故、社会保険庁のデータ入力漏れ、これらに共通するのは委託。
 委託というものは、とにかくみんなを無責任にする。誰も責任をとらない。これは、まさに君臨すれども統治せず、権限はあるけど責任はないという天皇のようなものだ。みんなが天皇になったらどうなるか? 太平洋戦争の敗戦のようなことになる。
 こういう無意味な上下関係だけの世の中はどうなるか? 専門家などは軽視される。専門家にとって当然なことは行われない。
 こうしてミニ天皇とその取り巻きが国を壊していく。
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

マナーその3

 マナーが一番悪いのは実は若者ではない。
 戦後のどさくさに育ったじいさんばあさんである。
 しぐさまでが汚らしい。つばつけてカードをよこしたりする。本や雑誌をめくる時もつばつける。
 本を脂汗みたいなものでベタベタにして返してくるのもこの世代。
 もっと上のお年寄りは品がいい。ただ、もう相当の高齢だ。まだ、日本が、戦争で滅茶苦茶になる前に教育を受けた人ははるかに品がいい。
 戦争があると、国民が大馬鹿になり、品格が落ちるから厭だ。

 だいたいが、少子高齢化だって、戦争のせいじゃないか。戦争の災禍は100年続く。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年8月 1日 (火)

イスラエルとアラブ

 もう平和は来ない。イスラエルもヒズボラも気違いだ。やがて、お互いが滅びるだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

だから委託なんていうのは

 だから、委託なんていうのは、無責任体制をはびこらせるだけなんだよ。プールで女の子が亡くなった。おそろしいことだ。プールの排水口の事故など、今までに沢山起こっているのに何故と不思議で仕方がない。ふじみ野市だとか、大陽管財という受託会社だとかは、もはや犯罪者である。
 ふじみ野市のホームページを見ても、まるで受託会社が悪いかのようで、全然反省を感じられない。排水口に安全な防護を施すのは市でなければできないだろうが! それから、文部科学省の通知文書を読み間違えるとは、文盲か? 市長も教育長も教育次長も犯罪者だ。
 また、受託会社の大陽管財に至っては、社長は現場のことは知らないと堂々とのたまっている。呆れ果てる。犯罪者のくせに大きな顔をするな!
 委託なんかするとね。図書館でもそうですが、安全なんていうのはどっか行っちゃうんですよ。シンドラーのリフトでもそうでしたがね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2006年7月 | トップページ | 2006年9月 »