公の施設の運営を民間企業も含めて代行させることのできる指定管理者制度が、地方自治法の改正によって数年前に成立している。
この制度のメリットとしては、大きなものは次の2つだろう。
1 行政側にはない専門知識やノウハウを生かせる。
2 民間企業のコスト感覚を導入できる。
ところが、公立図書館についてみると、次のような点から向いていないことがはっきりしている。
1 民営の図書館というのは、ないわけではないが、極めて少ない。また、いわゆる私立の図書館は、そのほとんどが専門図書館で、広く地域住民を対象とした公共図書館と同じものはほとんどない。つまり、公共図書館というのは、行政側に専門知識やノウハウがある数少ない分野である。
2 公共図書館の原則は無料サービスである。無料と言っても、経費がかからないわけはなく、言い換えれば、税金によってサービスを賄うということが原則である。従って、使用料などを徴収するサービスとは根本的に異なる。税金の使い方とその効率・効果という行政自身のコスト感覚がないかぎりはどうにもならない分野である。
このため、無料原則そのものを問題視する意見があるが、次の諸点から、無料原則をなくしたら、それは、もはや公共図書館あるいは公立図書館とは言えない。
公立図書館が無料であることの重要性
(1)公立図書館は人権保障機関である・・・公立図書館は、学習する権利という基本的な人権を保障する機関である。従って、はてしなく貧乏であっても、また、住民としての実態はあっても、一般的な国民としての扱いを受けられない立場であっても、サービスは提供されなければならない。なぜなら、いかなる自由競争の社会であっても、その出発点から差をつけてしまったら、それは公正な競争が成立しないからである。競争に公正さが成立しなければ、競争というもののメリット自体がなくなる。
(2)公立図書館は自由と自治と民主主義の砦である・・・人々に考える自由と学ぶ自由が保障されなければ、自治も民主主義も成立しない。また、自由主義も成立しない。この自由を保障するためには、そこに制限があってはならない。年収200万円未満の人に、年間20万円相当、本や雑誌や新聞やデータベースやインターネット代を自分でまかなえと言ったら、かなり無茶な注文である。しかし、年間20万円相当くらい資料や情報を見なかったら、深くものを認識し考えるのはもはや不可能である。個人の自由が成立していなかったら、地方自治も地方分権も成立しない。
さて、一番、重要なことは、公立図書館は社会改革のエンジンにならなければならないということである。そんなに「静かな場」ではない、ダイナミックな場なのである。
社会の改革は意識からである。意識を変えるのは、思想や科学である。さまざまな思想や科学が公平に豊富に提供されていなければ、社会は進まない。平和の実現や環境問題の解決、地域経済の活性化のためには、もはや、いわゆる専門家や担当者だけではどうにもならない。市民的な行動が求められている。このような重要課題に図書館が「インテリジェント・エンジン」として関わる事が必須である。そこまで図書館は大事なのである。税金を重点的に投資すべき分野であり、戦略がうまくいけば、リターンも大きいのである。従って、今の図書館でもっとも大事なのは地域の戦略と連動していることであり、このような大事なものの運営を他に代行させるのはまったく適切でない。
最近のコメント