公共図書館がその運営を民間委託したり指定管理者に代行させたら、もはや「公共」図書館ではない
公共図書館は、公共的な団体がやっているから公共図書館なのである。公共的な団体とは、必ずしも政府(行政府)ではないかもしれないが、少なくとも、民間企業は公共的な団体とは言えない。民間企業がやっている図書館は民営図書館、私立図書館、図書館会社といったようなものである。
私は、これらのものを否定しない。なぜなら、日本は自由主義の国であり、誰でも自由に図書館を開設していいと思うし、それを営利事業にしてもかまわないと思う。実際、まんが喫茶などでは、まんが図書館と称しているところもある。
しかし、民営の図書館があっても、公共図書館の必要性がなくなるわけではない。民間企業が図書館をやろうがやるまいが、公共サービスとしての図書館は絶対必要なわけだ。
理由は簡単だ。図書館は金がなければできないからだ。資料をそろえるため、専門的なスタッフを雇用するため。図書館は金がかかって当たり前と言うか、金をかけなければかえって公共サービスとしての図書館の意義がない。こういう金は税金のような強制力のあるものでないと集まらない。もちろん、かけた金は有効かつ効率的に使わなければならない。しかし、図書館への金を減らして効率的とは大間違いである。
利益を生む範囲の図書館サービスはごくごく限定される。それこそ、まんがやCD、雑誌、ベストセラーくらいが限界だろう。しかし、図書館にそんなものだけでよいのだろうか? また、まんがやCDだって、マイナーかもしれないがいいものもある。そういうものは営利事業では集めきれない。
直接的な利益には結びつかなくても、住民にとって価値ある公共の図書館は絶対必要なのである。それは地域の財産だからだ。公共の図書館サービスの利益は、運営者側にあるのではなく、顧客である住民の方にあるのである。ここが、営利事業とのもっとも大きな違いである。
そもそも図書館について民営化とか、指定管理者制度の導入などというのは、出発点から間違っている。図書館は官の独占物ではないのだから、やりたい人たちは、事業として自分たちでやればいいのだ。しかし、それでも、公共サービスとしての図書館は絶対必要なのだ。図書館は国家の存立基盤である国民、自治体の存立基盤である住民そのものの自由と自治、教育(学習)と情報アクセスのために必須のものであり、これがなければ、本来、民主主義や自由主義社会は成立しないのである。
図書館を重視しない社会は民主主義社会でも自由主義社会でもない。図書館を重視しない政治家や政治団体が民主主義や自由主義を標榜しているなら、それは詐欺であるか、よほど愚昧であるか、はたまたよほど無力であるかのどれかである。
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