教育基本法改正は、憲法改正の布石として行なわれる。
現行教育基本法も、現行憲法より前に制定され、いわば、現行憲法の布石であった。
教育というのは国家の成り立ちの根幹に関わるからである。
さて、自民党の憲法改正案を見てみると、その前文に、「日本国民は、帰属する国や社会を愛情と責任感と気概をもって自ら支え守る責務を共有し、自由かつ公正で活力ある社会の発展と国民福祉の充実を図り、教育の振興と文化の創造及び地方自治の発展を重視する。」とある。
「責務」と書いてあるけれど、これは、責任と義務ということであろう。国民に愛国心による国防義務を課しているようなものである。だから、教育で愛国心教育が必要なのであろう。それで、この文章だと、「自由」より先立って、国防義務が書かれている。単なる順番の問題だから、どっちが優先ということはないという人もいるかもしれないが、いわば、前提として国防義務が書かれているのである。ここまで書けば、あえて徴兵制にしなくても、国家総動員できるし、また、徴兵制にすることについても憲法に根拠を有することにできるだろう。
ささいなことと思う人がいるかもしれないが、そうでもない。例えば、次の2つの文章を考えてみてほしい。
1 彼女は妊娠し、結婚した。
2 彼女は結婚し、妊娠した。
1は誰が読んだって、「できちゃった婚」だと思うだろう。2は結婚後、妊娠したのだと思うだろう。ただ、「し」という言葉でつないでいるだけで、こんなに意味が変わるのである。自民党の改正案の前文も「共有し」と「し」でつないでいるのである。
ここらへん、言語学的意味論的に詳しく知りたい方は、下記の本の3ページを見てください。
意味分析の新展開 児玉徳美著 開拓社 2004.10 ISBN4-7589-1808-2
憲法改正には、国民投票が必要だが、それが絶対必要とはされていない教育基本法で改正憲法の先取りをしているのである。愛国心なんて普通のことだから、目くじら立てることはないではないかと呑気に構えていても、憲法が改正されると、この国防義務の基礎となっている愛国心を教育しなきゃならなくなるのである。
これについても、教育基本法改正案で愛国心を教育しなければいけないなんて書いていないなんて考えるのは甘いのである。なぜなら、今度の教育基本法改正案では、法令に基づいていろいろと教育をコントロールできるのである。別な法令で愛国心を教育しなければならないというのをつくったところで、教育基本法改正案が通ってしまえば、そちらの方で、愛国心はむしろ奨励しているのだから、当然、合法となり、憲法も改正されれば、それは、国防義務に向けたものとなる。
下手すりゃ、とんでもないかもしれない。武器も与えられずに、竹やりで立ち向かえに近いことを言われるかもしれない。しかし、九十九里浜で米軍上陸を竹やりで迎え撃てなんて、心底、とんでもない国だったんだなあと思う。そんな愛国心で、民族が滅亡してしまったり、あるいは、民族の自立性がなくなってしまうんだったら、かえって、愛国心が外国に利用されてしまうってもんだ。とくに、集団的自衛権なんて言い出したら。受託会社の愛社精神なんて委託側に翻弄されるんだもんね。
私は、司書ですから、愛国心を否定する本は有害図書として処分しますなんてことは、断じていたしません(肯定する本もしませんが)。
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