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2006年3月27日 (月)

日の丸詐欺

 おれおれ詐欺だの振り込め詐欺だのいろいろあるけれど、ある意味、国家の詐欺が一番すごいよなあ。大東亜戦争だとか、北海道開拓だとか満蒙開拓だとか、ブラジル移民だとか、金のたまごだとか。
 そして、構造改革・行政改革だね。

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私の将来

 私が今、働いているところは委託なども導入されているが、常勤職員の仕事も残っているので、まだ、私は図書館で働ける。
 しかし、全面委託とか指定管理者になればアウトだ。私は図書館にいられない。そのときは、役所へ異動で、なれない仕事を仕方なしにするだろう。もう、ただ生活のために。あるいは、法律が改正されて、指定管理者の方の社員などになるかもしれない。そして、また、法律が改正され、自治体へは戻れなくなり、そのまま解雇になったりして。
 悲惨だなあ。極悪民間会社とまったく同じリストラの手口だ。
 これが自分だけの問題なら、いくらでも暴れてやるのだが、親は癌だし、弟は自己破産だし。
 これぞ構造改革。ごりっぱなこった。よーー、小泉、立派立派!
 立派だよーーー!!
 もっと、日本をぶち壊せ。立ち直れなくなるくらい。
 極悪の金持ちとつるんで、もっとぶっ壊せ。
 一般庶民を戦争にでもやって殺戮すれば、問題の種がなくなるってもんだ。
 昔からよく行われている手法。ナチスと同じ発想。
 なにを今さら経営感覚だの効率だのコスト・パフォーマンスだの。
 そう言っているご当人たちが一番ないのにね。ご立派な茶番劇だ。みんな優秀だよー。
 でも、絶対、自殺なんかしてあげないからね。殺されもしない。うちの前の親玉のように。

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2006年3月25日 (土)

裁判員制度

 裁判員制度の導入に伴い、裁判員休暇や託児所をということを法相が言ったそうだが、当然のことだ。というより、裁判員に選ばれたら、裁判員休暇をとれるように法改正すればいいじゃないか。

 それより、図書館とも関連するが、こういう制度を実りあるものとするためには、裁判員に選ばれた人が十分な資料に目を通すことができなければならない。なんと言っても、図書館の充実が欠かせない。犯罪や社会問題に関する本はたくさん出ている。ジャーナリストが鋭く掘り下げた傑作も多い。しかし、図書館の資料費が少ないから、それらがそろっている図書館は少ない。もうひとつ、最近の法改正はすさまじく、改正されている度に本が出ているが、図書館で買い切れない。政府自らが、改正や制定された法律の解説書を委託してもいいから出版し、図書館に寄贈すべきだ。また、法令については、現在、法令データ提供システムにより、かなり調べられるようになったが、判例や行政実例は不十分である。これらについてもインターネットで検索できる無料のデータベースを充実すべきである。

 さらに、外国のものでも重要なものは翻訳のプロジェクトを進めるべきである。これも図書館に寄贈してほしい。

 でも、もっと重要なのは、法案の段階で、ちゃんと発表すること。今度の教育基本法の改正案もどこにあるのだか、さっぱりわからない。こんな状態で変えられたんではたまらない。

 憲法改正問題も、関連する本は、ぜひ図書館に寄贈してほしいもんだ。

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無題

 本日は当番。
 難しいレファレンスは無し。ただし、前に館長がおたおたしていたものと同じレファレンスあり。館長はおたおたしていたが、なにも難しくないレファレンス。
 貸出しは多く、忙しかった。

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2006年3月21日 (火)

浜離宮に菜の花

 本日も、またふらふらしてしまいました。
 芝離宮、浜離宮と行って、上野の国立西洋美術館と国立科学博物館へと行きました。浜離宮にそんなに大きくはないが菜の花畑があり、なかなか綺麗でした。
 科学博物館でナスカの展示をやっており、少女のミイラの前で、生きた少女がじっと見つめていたのが印象的でした。こわくないのかな? 私が子どものときなら、こわくて逃げ出してしまっただろう。
 なんか、黒目まで残っているミイラですごかったが、あまり恐怖心は感じなかった。古すぎるからなのかな。1年前に死んだ人なんていわれたら、こわいだろうな。
 まあ、こんな日に野球を見ていない人間の方が異常なのかもしれないが、もう雰囲気が雰囲気なので、間違いなく日本は勝つと思っていました。世界一っていうのはやっぱりすごいなあ。

 ところで、ナスカの地上絵はやっぱり祭儀用じゃないかっていうんだけど、でも、なんか腑に落ちないなあ。まあ、全然、実用的じゃなさそうな絵もあるんだけれど、何かの用途がありそうな線もある。描かれているものによって違うんじゃないかなあ?

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宇治山哲平展

 東京都庭園美術館でやっている宇治山哲平展に行ってきた。この人についての基礎知識ないんだけど、キリスト教徒なのかな。絵にやたらと十字がある。言い換えると、十字ってこんなにバリエーションがあるんだと思った。
 自分の名前のある一字が題名になっている絵があったので、その絵はがきを買おうかと思ったら、それはなかった。展示されている絵のすべてが絵はがきになっているわけではないから仕方がない。
 あと、この美術館の上の方にいい部屋があったんだよね。サンルームのような。これは大発見。冬しか行けないのかな? 春・夏は暑くてたまらなそうだ。
 サンルームって、夏場など暑いときはどうするのかな? また、暑いときに、涼む部屋という発想はあるのかな? 今度、調べておこう。

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ニートはやっぱり不思議

 ニートっていうのは、やっぱり不思議だ。フリーターはまだわかる。ニートっていうのは、働いていないだけでなく、勉強もしていないんだよね。ここが不思議。閑で食べることに困っていないのなら、まずは勉強でもすればいいのに。勉強は閑がないとなかなかできない。むしろ、閑で仕事がないのは勉強できるいいチャンスと思うべきだ。食べることに困っていたら、仕事がないなんて言っている状況じゃないだろう。仕事を選ばず、何でもやっているか、ホームレスになってるはずだ(いや、ホームレスだって雑誌を拾ってきて売るくらいのことをしている人はいっぱいいる)。
 勉強もいやだなんていうんだったら、スポーツするか、絵でも描いているか、小説でも詩でも書いているか、作曲でもするか、まあ、何でも創造的なことをしたらどうなんだろう。ひたすら、そればかりやっていれば、何かはあるかもしれない。ただし、コンテストとか賞に応募するとか、自分でじかにどこかに売り込みにいくとかは必ずしなければならない。そうでなければ、何も始まらないから。下手くそでも、街でひたすら楽器を鳴らしている連中の方がよっぽど立派に見える。
 だいたい、やる前から才能がないなんていうこと自体、よくわからん。何をやっても、やっぱりダメだったというのだったら、その段階で修道院にでも入ればいいと思うよ。修道院だってたくさんの日課があるけれど。あるいは、ひたすら座禅を組んで瞑想するか、公案の答えでも探すか。
 だけど、株やギャンブルはやらないでほしいな。こればっかはニートなんかになる人は絶対にやらない方がいい。

 だめだよ、ニートなんて。「時間」という最大の財産があるのだから、それをぜひ生かすべきだ。

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2006年3月19日 (日)

スポーツ少年は本も読む

 読売新聞を読んでいたら、いい話が載っていた。昔の話だが、読者からの投稿で、近所の少年の野球の指導をしていたら、米軍基地の人から試合の申し込みがあり、たぶん、基地内か米軍住宅地内かと思われるが、友好試合をしたそうだ。試合後、言葉もわからないのに、食事を一緒にして盛り上がったそうだ。

 米軍基地自体は、うーんどうもな存在だけれど、この話はいい話だ。

 私の勤務先の図書館にも明らかに野球少年とわかるお客がいる。彼は、野球をするだけでなく、野球の本もずいぶんたくさん読んでいる。予約で取り寄せるからわかるのだ。バットに関するレファレンスも受けたことがある。

 スポーツする人は、実は、かなり本を読む。スポーツ関係の理論書というものも結構あって、これは心理学的なものも多い。イメージ・トレーニングなどの本である。

 ときどき、思うのだが、スポーツでない、いわゆる勉強でも、「トレーニング」理論の本がもっとあっていい。あるようで、意外とちゃんとしたものがない。教育心理学というより、学習心理学である。コーチングが最近流行りだが、まず、学習もトレーニングととらえてみてはどうだろうか。

 そういう視点から、女王の教室を見て、思ったこと、もうひとつ。

 漢字が読めない生徒に、今まで読んだところから想像してごらんみたいなことを言っていた。見たときは、なるほどと思ったが、そんなに良くもない。英語の試験なんかでも、こういうテクニックは言われるけど、やっぱり辞書をひくのが基本なのだ。

 漢字を辞書でちゃんとひける人は意外と多くない。図書館員だから、このことは痛感している。漢字の辞書どころか、百科事典だって、ちゃんとひけない人の方が多い。百科事典は索引の巻からひくものだ。ただ、見出しだけを追ったところで、探したいことはうまく見つからない。索引からひけば、見出しになっていなくても、どこに載っているかわかるし、関連することの方がむしろ、探していることであることがわかる場合もある。

 こういう学習の仕方そのものを習得していれば、わからないことがあっても、それほどとまどったりしないものなのだ。

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長谷川潔展

 標記の展覧会に行ってきました。横浜美術館で3月26日までやってます。

 マニエール・ノワール(メゾチント)の絵が良かった。ノワールという言葉が示すとおり、夜中、突然目覚め、薄暗い中に浮かび出る物どものような絵だ。美しい黒だ。存在感がある。もっとも、鳥や葉も生きているものというより、金属でできているもののように見える。その一方で、生なき物も、やけに存在感を持って存在している。

 不思議な絵だ。

 行き当たりばったりで入ったが良かった。

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行政改革は本気で行われていない

 行政改革なんて言っているけど、こんなものは、本気で行われていない。組合側と当局側の利害の一致したところで、適当にやっているだけである。だから、両方にとっていやなことは決して行われない。

 ところが、本当に必要な行政改革は両方にとっていやなところにあるのだ。

 たとえば、図書館サービスを改革するとしたら、ポイントは、図書館職員にスキルや知識、そして見識の高い職員を置くことである。まず、司書を専門職として採用・配置しなければならない。

 これは、当局も組合も毛嫌いしている。もちろん、理解者もいるが、単に理解しているだけで力にならない。現場からそういう声が起きてこないじゃないかなどと言う。そんなのは無理に決まっている。司書がろくろくいない現場から、司書を置けなんていう声が起きるはずがない。そんなことを言ったら、今まで適当なサービスでごまかせていたものがごまかせなくなる。要するに、仕事は確実に大変になるので、怠け者はいやに決まっているからだ。それ以前に、そもそもその能力がないから、自分はいられない。もう楽はできないのである。

 当局にとっても組合にとっても、一致して、専門職制度のないいい加減な職場である図書館が存在する最大のメリットは何か?

 本来なら、クビになってもいいような人間をとりあえず置いておけるからである。このことは、普通、明白にならないが、思わず、表に出てしまったことがある。

 県での話だが、問題教員を図書館に配置するということなのだ。こんな話が文部科学省(当時は、まだ文部省だったかな?)あたりから出て、マスコミにも載ったことがあるのである。ひどいのは、マスコミもそうで、そういう問題教員を図書館に置くこと自体の問題をどこも指摘していなかった。そこまで、図書館を下に見ているのである。

 図書館で、専門職制度を導入すると、人事が硬直化するなんていうが、そんなことはない。すでに、人事など硬直化している。人事異動をごちょごちょやったって、もう、問題は解決しない。人事異動をごちょごちょやって問題が解決するのは、職員数全体が多い昔の時代の手法である。職員数が少ない今とこれからは、その少ない職員が確実に仕事ができなければならない。だから、もう一般職の時代は終わりなのである。もうこれ以上減らせないところまで行くのだから、その職員は専門職にすべきである。これ以上減らせないところまで行ったら、数を減らすことはありえないからだ。その時、減らすのは給与とポストしかないのだ。専門職の人間はポスト(長がつく仕事)などもともと指向しないのだから、専門職制の方がかえって安上がりである。専門職指向の人間は仕事が好きだから、給与を減らしても、その仕事をする。ここらへんが、組合が専門職の人間を嫌う理由でもある。実際、委託やパートの低い賃金でも司書有資格者は集まる。ただし、女性ばかりだが。さすがに、ここまで低いと男性は家庭を維持できない。(裏返せば、集まる女性も家庭の柱にはなれない。そうではない人が集まる。)

 だから、専門職はむしろ、給与は低くとも、少なくとも家庭を維持できる最低限は与えて、地位は安定した正規職員の方がいいのだ。この方がロイヤリティも維持できる。ロイヤリティというのは忠誠心などと訳されるが、上司の言うことなら何でも聞くという犬みたいな話ではなく、仕事そのものの目的と使命を理解し、それを実現するために邁進することである。仕事への敬意である。こういうものを不安定な立場の人に要求するのは無理がある。

 ところが、こういう本当のロイヤリティは当局が大嫌いなのだ。なぜなら、上司に反抗することもあるからだ。命令だからと言って、おいそれとは言うことを聞かないからだ。命令なんていうものは、往々にして仕事の目的・使命からそれている。

 もしも、軍隊の人間が、本当に愛国心を持っていたなら、亡国へ導く戦争などは体をはって反対しただろう。そういう例も実はあるのだが、実際には機能しない。ロイヤリティはもともと強制する性質のものではないのである。ロイヤリティというものは、指揮命令系統とかそんなものを超越したものなのであるからである。だから、そういうものに組み込むと、かえって、大変なことになる。

 公務員の場合、唯一、大事なのは憲法以下の法令体系だけである。公務員の仕事の目的・使命はここにあらわされているからである。しかし、これは全体としてとらえなければならない。地方公務員法を改正して、上司への暴言はうんたらかんたらなどというくだらない問題ではないのである。

 しかし、今、この憲法や教育基本法が改悪されようとしている。大変なことだ。

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女王の教室

 普段、ドラマなんか全然と言っていいほど見ないんだけど、「女王の教室」のスペシャル版、思わず見た。本編の方は初回ちらっと見たけど、なんだこりゃという感じで結局見なかった。
 スペシャル版は現実離れしているとは言え、面白かった。
 ドラマを見ている間は、主人公の教師になんとなく感情移入している面もあったけど、冷静に考えると、やっぱり、教師としての技量や注意が足りなすぎるんじゃないだろうか?
 例えば、最初のまだ純粋な教師の段階で、ていねいに教えるのはいいけれど、著しく授業が遅れるっていうのはどうなんだろう? 何もクラス全体を遅らせる必要はない。もっとも、進んでいい部分を進ませるだけでも、今の親は不公平とか言って、怒るかもしれないが。
 交換日記をやっていたけど、あの日記の内容から、もっと心理を読み解くべきだったのではないだろうか。そう簡単にはいかないだろうけど、ちょっと間抜けだったような気がする。
 それから、決定的に、この人が本質的に間違っていると思ったのは、自分の子どもに対する教育。実は、この手の方は図書館利用者にも少なくなく、私はときどき、とまどう。はっきり言って、「完全主義」。夫の言うように、もうすこしいい加減でもよかったのではないだろうか。一部の女性からは反発をくらいそうだが。だが、夫も自分の妻のことをもっと考えるべきだっただろう、でれでれしたことばかり言ってないで。要するに、両方とも意外と未成熟なんだなあ。
 この、甘さと厳しさを極端に揺れ動く人。いるいる。そして、自分の愛情を理由にしている(結局のところは)が、どうなんだろうか。危ない。ほどよくない。この愛情は、実は自分自身のためなのだ。独善的なのだ。だから、女王なんだろう。
 私が、ほどよい司書になりたいのは、こういう「教育病」にとりつかれたくないからだ。甘くしたところで、厳しくしたところで、心の問題や学習の問題は解決しない。甘い・厳しいなんていうのは、所詮、同じ直線上だ。この主人公は、自分で「第3の道」を探れなんていいながら、なぜ、それを実践しないのだ・・・。

 図書館でも、同じ直線上の極端なことを言う人がいる。

 どんな本でも、利用者の要望にそってそろえて提供しろという人、一方で、もっと図書館でそろえるべき本をそろえろという人。

 両方とも正しいし、また、間違っている。

 それは、前提となっている、利用者の要望も図書館でそろえるべきものというものも、両方とも不確実なものだからである。

 そんな、外形的なものではなく、利用者に真に資する・役立つ本を図書館でそろえるべきであるし、また、図書館でそろえた本を利用者に真に役立ててもらうことが必要なのである。

 しかし、また、これも不確実である。

 ただし、これは、不確実であるが、結果について、ある程度、条件付きで検証可能である。この点が違うし、重要である。イデオロギーでなくて、科学で行けということである。

 要は、利用者と資料との結びつき(マッチング)である。どんな利用者にも、その人にマッチする資料はあるし、また、どんな資料にも、それにマッチする人はいる。ただ、程度の低い人というのが、現実に存在する限り、程度の低い本はある。なぜなら、本というのは、結局、人によって書かれるからだ。だから、程度の低い本にマッチする人はやはり程度の低い人である。こういうことを言うと怒る人がいるが、これは真実である。

 むしろ、少しミスマッチで、自分より程度の高い人の書いた本を読むことによって、人は程度が高くなる。読書の意義はここにある。

 図書館での資料とのマッチングで、自分が少しでも高まれば(客観的に)、それは成果である。ただ、それは自己満足であってはいけない。利用者の成果が図書館の成果である。私は、かつての危険な「思想善導」を言うのではない。もっと、本質的な話だ。

 大事なのは、利用者と同じ方向を図書館員も向けということなのだ。解決すべき課題は実は同じである。

 ここが欠けているから、みんな、危ない、極端な教育に走る。教育基本法を変えろなどと言う。教育というのは、自己の成果と社会の成果が結びつかなければ意味はないのだ。また、それは誰かが「指導」するものでもないのだ。

 教師と生徒は、「友達」同士なんかでなくていい。また、教師は一定の権威があるべきだ。しかし、それでも、同じ方向を向いて、同じものを目指していないといけない。教師は、向かい合うより、隣にいるべきだろう。教師も、また、学習者であると考えればいいのである。完全主義の人には発想不可能だろうが。

 完全主義とプロフェッショナリズムは違うのである。

 これは、医者と患者の関係、社長と社員の関係にも言える。同じものを目指せ、同じ仕事をしているのである。

 

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2006年3月17日 (金)

危ない夢

 何とも危ない夢を見た。

 帰ってきて、疲れて眠りこんでしまった間に見たのだ。

 大学の学園祭のような場所。教室を使っていろいろな催しがされている。
 ある教室に入ったら、教壇にいる一人の男以外誰もいない。この短髪で小太りな男を私は知っていた。凶悪犯罪の犯人だが、何やら自分の主張を叫び続けていた男なのだ。
 でも、その主張はとても一般人の納得のいくものではない。だから、この教室にも聴衆はほんのわずかしかいなかった。
 私は少しいやな感じがしたのに、入ってしまった。すると、わずかしかいないどころか、聴衆は全然いないことに気がついた。かわりに長いひものようなものが彼のところから、教室の後ろの方、私の方へ向けて横たわっているのが見えた。

 私はとっととこの教室を出て、もう少し上の階だか、渡り廊下を行った別棟にある、他の教室に行った。ここには聴衆が結構いた。満杯ではなく、みんな後ろの方に座っていた。でも、私は前の方に行った。前にはべっこうのメガネをかけ、白髪で長髪の教授がいた。黒板にはなにやら英語だか、ラテン語みたいなものが小さく書かれていた。なんて書いてあるのかわからないのに、私はこの教室が刑法の部屋であることがわかった。学園祭にしては、ずいぶんお硬いテーマだ。私は、自分が不釣り合いなところに来た気がした。刑法なんて、関連の本を1冊も読んだことがない。

 すると、さきほどの男がやってきて、白い紙の包みに入れた金を配り始めた。5千円くらい入っているらしい。自分の罪のつぐないだというのだ。ところが、その男が私の前にやってくると、私には何も渡そうとしない。それどころか、私にはさみをつきつけ、俺は妊婦をやってしまったんだ!と叫ぶ。 私は一瞬、自分が死刑廃止論者であることを悔やむ。こんな凶悪な人間がいると、自分が殺される。恐怖を感じながら、刑法教授の方を見やると、彼は無力そうにただ立っているのが見えた。

 以上が夢の概要。

 最初、私は、この凶悪な男が自分で、実は自分には危ない欲望があるのか、あるいは、自分の主張がみんなに伝わらないことにいらいらしているのかと思ったが、そのうち、この無力な刑法教授が自分のような気がしてきた。さもなくば、両方とも自分で、怒りを理性が抑えられない状況にあるような気がしてきた。それは、あまりに不条理な現状に怒っていて、その不条理さは理性自体も認めざるを得ないからだ。

 これは、深く知ると危ないかもしれない。精神が不安定な気がする。

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2006年3月16日 (木)

検索技術だけでは資料相談はできない

と思い知らされる難しいレファレンスが今日はあった。
 何とか提供したが、満足度は6割くらいだったかもしれない。

 検索のキーになるものが全然、不足している。アメリカのMARCデータだったらあっただろう。そう、フィクションの件名なのだ。でも、迂遠かもしれないが、LCのOPACでも検索して、翻訳書を探すという手もあったかもしれない。しかし、お客は待ちきれないだろう。

 5分で料理対決じゃないけど、5分でレファレンスというのも多い。

 復習しておこう。

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2006年3月13日 (月)

さまよえる老人たち

 ITだの何だの言ったって、今の老人たちの世代の教育水準を考えるとついていけない人だらけ。
 いまや、大学卒業も当たり前になりつつあるが、老人たちの世代は中学だって行っていない人が(教育制度が違うから当然だが)・・・。また、戦中・戦後の混乱で、学校は行っていても中身が実質ないという人もたくさん。
 かつては「金のたまご」と言われた人も、ホームレスになっちゃった人も少なくない。

 あまりにも基礎的な教育がない状態で、インチキ健康食品をつかまされたり、インチキ・リフォームにはめられたり。

 こういう人たちで、それでも何かを知りたいのだが、難しいことは一切わからないという人が、結構、ベストセラー大好きだったりして。大好きというより、何を読んだらよいかわからない状態・・・。

 やっぱり、教育の機会均等は国家の基礎だと思う。

 だからこそ、教育勅語なんかより、現行の教育基本法を守ることの方が大事だと思う。

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2006年3月12日 (日)

アナログの良さ

 何でもデジタルになると、そろばんや習字は「伝統文化」のような雰囲気があるが、実際、そうでもないと思う。
 まず、そろばんは暗算ができるようになる。2桁の掛け算九九がどうのこうの言っている人がいるが、そんなこというならそろばんをやった方がいいと思う。暗算ができるということの便利さはこの上ない。私なんかは大学入試の数学で、解き方は間違っていなかったのに計算間違いして、ひどく損をした。計算はおろそかにしてはいけないのだ。
 それから、習字は、芸術としてどうのこうのという意味だけでなく、実用的な意味もある。硬筆は下が硬くなければできないが、筆は、下が柔らかいところでも結構書ける。それから、同じ筆で太い字や細い字が書ける。本当の筆だと結構面倒だけど、筆ペンなんかはかなり便利である。さらに、草書なんかができれば、速記ができる。パソコンは音がうるさいのではばかられるところもあるが、そういうところでもできる。
 腕時計なんかも、デジタルよりアナログの方を結局、皆使っているのは、残り時間がヴィジュアルに、いわば、円グラフのようにわかるからだろう。
 温度計や湿度計も確かにデジタルの方がすぐに正確な値を出すが、これは、また、やたらと変動して見づらい。だいたいの値で、なおかつ一時的な変化に左右されずに、ヴィジュアルに見えた方がいいという場合もあるだろう。そもそもだいたいでいいものを、あまり正確にしたところで意味がないのだ。

 ところで、「本」はアナログかというと、これは結構デジタルなものである。最近の本が読みやすいのは、字がデジタルだからである。もちろん、ディスプレイの画面で見る字は、まだ見にくいところがあるが、印刷の字は、今、かなり読みやすい。これは、コンピュータによる写植のおかげである。昔の本など読みにくくてしょうがない。

 あと、結構大事なのは、アナログのものは、電気からフリーなものが結構多いということだ。あのコードはやっぱり鬱陶しいし、電池が突然なくなるのは本当に困る。私も大事な会議の司会をしていた途中に、腕時計の電池がなくなって困ったことがある。今は光発電の腕時計をしている。しかし、今度は、若干の電磁場を発生する装置を職場で使っているため、これで狂ってしまうことがあるので、昔風の機械式にしようかなと思っているところである。

 そろばんと習字とパソコンをまとめて教える塾でもやるといいかもしれないね。ついでに計算尺なんかも。デジタルというのは、ピュタゴラスみたいなもんで、結局、無理数のない世界だからね。

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2006年3月11日 (土)

教育基本法をなぜ「改正」する必要があるのか?

 教育基本法を時代に合わないものとして「改正」しようとしている。果たして、時代に本当に合わないのだろうか? 私はまったくそう思わない。
 それどころか、現行教育基本法で望まれていることは、いまだに実現されていない。現行の教育基本法は、個人の人格を尊び、あらゆる機会に教育をひとしく受けられるような社会を目標としている。図書館だって、こういう教育基本法の精神にのっとって存在するわけだ。だとすれば、図書館サービスは、人口の少ない田舎でも提供されるべきだし、また、マイナーな分野の資料であっても提供されるべきだし、貧しくて、新聞や雑誌を購読したり、データベースを利用したりすることが困難な人のたよりになる所であるべきだ。
 今度の「改正」はいわゆる「愛国心」が問題になっているが、それだけでなく、教育の機会均等というもっとも大切なコンセプトを崩そうとしているところが大問題である。「結果」が必ずしも平等でないのは仕方のないことだが、「機会」、しかも、「教育」という、人間の能力開発の前提となるものの均等を奪うのはゆゆしい問題だ。
 こんなことを許したら、一流大学は、特定の塾や予備校や通信教育など費用のかなりかかるものをずっとしてきた人、ないし、そういう私立学校に行った人しか、ほぼ行けなくなるという事態がますます進行する。こんなのは、まさに、教育機会によって、階級を形成するようなものだ。これは本当に良くない。
 ついでに、行革推進法も図書館にはマイナスのあおりばかりで、こういうことで、図書館の人件費・資料費はますます削減されるだろう。そうなると、図書館の質・量はどんどん貧弱になる。金がなくても、図書館から本を借りて読めば結構、勉強はできるが、今後は難しくなってくる。いや、もうすでにそういう現象は起きている。都道府県立図書館の予算が激減しているところがあるからだ。以前は、区市町村立図書館が買わない高い専門書などもそういうところを通して借りることができたが、いまや、それもできなくなっているものが多々出てきている。
 そういう格差社会で何の教養も専門知識も身につけなかった者は、ただ「愛国心」だけを背負って、「改正」された憲法のもと、特別権力関係のもとにある兵隊となって死ねということか。これでは、まったく、時代が逆戻りである。
 資本主義的無政府主義(アナーキズム)でありながら新しい全体主義の時代が来ようとしている。恐ろしいことだ。

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2006年3月 8日 (水)

画家は長生き?

 今日は、東京駅近辺に用事があったので、帰りに大丸の美術館に寄った。ここは夜までやっているので行きやすい。今回はパリにいた(?)画家のごちゃまぜの展覧会だったが、日本人も結構あって面白かった。
 真ん中に、年表のパネルがあって、画家は、作家や音楽家に比べるとやっぱり長生きなのかなあと思った。
 逆に言うと、長生きしたければ絵を描けばいいのかね。
 絵を描く呼吸がいいような気がする。

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2006年3月 7日 (火)

図書館建築

 最近、建築について、とくに、構造計算関係で大変なことになっているけれど、この世界はもともと信用していないんだなあ・・・。
 図書館の建築も、うーん。
 いいものもあるんだけど、流行りのものは私は必ずしもいいと思っていない。

1 窓が大きい。 → 大きすぎて、日が当たりすぎるため、ブラインドを閉めきりにしたりして、かえって暗くなっている。また、開閉ができないため、すべてエアコンでやらなきゃならなくてエネルギーの無駄。さらに臭い方が来たときにちょっと開けるとかも大変。従って、普通の窓の方がかえっていいや。

2 柱や壁がとても少ない。 → 確かに広々していいのだが、広すぎて、何がなんだかわからなくなる客も。それに、建物自体に金がかかりすぎる。同じ図書館でも、一様でない方がかえってわかりやすいと思う。

3 カッチョイイデザイン → かっこがいいんだかなんだか知らないけれど、とくにサインがひどい。字が小さくて見えなかったり、一番、肝心な、図書館名を示した看板が、銀色に銀色とか黒の文字で書いてあったりして、見えないっていうの。

4 入り口が奥まったところにある。 → 交通事故でも心配してくれているのか、風水でも考えているのかわからないけれど、お客がまよいます。一番、わかりやすいところを入り口にしてほしい。

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2006年3月 6日 (月)

理想の本棚

 図書館の職員だから、「本棚」にはこだわりがある。どういう本棚がいいかというと・・・

1 ほこりや汚れ、傷が目立たない。だから、真っ黒や真っ白は厭だ。
2 奥行きが深すぎない。むしろ浅い。
3 高すぎない。書庫も含めて、もう、ステップに乗らなければ取れないような書架はやめた方がいいと思う。
4 分解・組み立てが簡単である。
5 背板がないものは見通しがよい点はいいのだが、本が向こう側に落ちやすい。全面的に背板がないのではなく、上部をほんの少しあけるだけでよい。
6 側板はちゃんとある方がむしろいい。いろいろな表示にも使えるし。ただ、重苦しくない色がいい。
7 色については、全体的に目立ちすぎたり、重苦しい色はいやだ。そういう色にすると本棚ばかりが目立ってしまう。極論すれば、本棚なんて半透明でもいいくらいだ。
8 大型本の書架は、しっかりした仕切りが細かく入っているもの。仕切りが線みたいに細いものは、本をそこに挟んでしまって、本を痛めるからダメ。あまりに大きい本は1冊ずつ寝かせておくような棚の方がむしろいい。

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梅にうぐいす

 竹橋の国立近代美術館に行った。今日は、常設展が無料開放だった。水彩画が意外と新鮮だった。前に、こんなのあったかな?
 3時過ぎに小石川後楽園に行った。梅はまだという感じだったが、一部、咲いているものもあった。しかも、うぐいすが2羽、いい構図でいる。しかも、人がおおぜい見ているのに逃げない。花の中にくちばしをつっこんで、飛び回っている。
 デジカメを持ってくればよかった。

 夜は知り合いと野菜をつまみに呑む。

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2006年3月 4日 (土)

教育基本法改定反対

 なぜここまで教育基本法改定に固執するのか?
 「愛国心」なんていう良くも悪くもとれる概念を基本法に入れるなんて反対だ。

 冗談で、総合的学習でもテストをするようになったらお笑いだと言っていたら、本当にそれをしようとしているところがあるようだ。

 愛国心も、冗談で、そのうち愛国心検定なんてやるんじゃないかと言っているのだが、ある意味、本当に「踏み絵」になるだろう。

 ここらへんをあおり立てているちんぴら学者どもも気持ち悪い人たちばかりで本当にうんざりだ。

 無条件に国を愛せなんて言ったって、国は神じゃないんだから無理な話だ。
 無条件に愛せなんていうのは、キリスト教・ユダヤ教・イスラム教の神だけだ。

 無条件に国を愛せなんて言ったら、それは、ローマ帝国の皇帝崇拝みたいになってしまい、キリスト教徒には、本来、従えない話だ。

 よく国を郷土愛に例える人がいるけれでも、郷土愛っていうのも、単なるお国自慢のくだらないのもいっぱいある。ダメな地域ははっきり言って、ダメだよ。

 よくするかしないかはそこに住んでいる人間によるのだが、郷土というものは、孔子もイエスも軽視するところだ。

 愛国心だの愛郷心だの言う人は結構、ダメ人間が多い。ダメ人間のくだらないプライドのために、教育基本法を変えて欲しくない。ちなみに、このプライドとか矜持とかいう言葉もダメな人ほど好きな言葉だ。

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お気入りレストラン

 本日は、スーパーマーケットに附置されているレストランに行きました。ここは、ランチ・プレートが飲み物つきで1050円なのだが、好きな惣菜を4つ選べる。これだと、野菜ばっかり選ぶことも可能だ。
 今日は、ひじきにセロリにブロッコリーに芋なんていうものを選んでいたので、揚げ物もありますよなんて言われてしまったが、揚げ物なんて要らない。
 最近は、呑み屋でも、ただのキャベツに味噌つけて食べたりするのが好きなのだ。あとは、ごく一部の呑み屋にしかないのが残念なんだけど、セロリの漬物が好き。セロリなんて子どもの時は当然嫌いだったのだが、今は大好きだ。
 もっと野菜のメニューが豊富なレストランや呑み屋が増えるといいなあ。

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撃ちてしやまん構造改革

ススメ ススメ 構造改革
贅沢ハ敵ダ
公務員ハ削減セヨ
自己責任デ戦エ
貧乏人ハ麦ヲ食エ
医療費3割ジャマダ甘イ
貧乏人ハ早ク死ネ
陸海空3軍ヲ整備セヨ
ニート・フリーターハ兵隊ニ
モウ一度中国ニ進出シヨウ
図書館ナンテイラネ
委託・指定管理者ジャマダ甘イ
廃止ダ廃止ダ
言論ニ自由ナドナイ
王政復古
八紘一宇
トイイツツアメリカ合衆国日本州
州ノ中ニ州ガアル道州制ナンテ矛盾ダネ
読売・朝日・日経・産経ミンナ同ジ帝国新聞

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2006年3月 3日 (金)

さびしい白金

 白金の方に久しぶりに行ったら、なんか前よりさびしい感じがした。ずっと前はもっとさびしかったわけなんだけれども、シロガネーゼなんて消化酵素みたいなことを言って騒いでいた時分と比べるとやっぱりさびしい。
 なにやら、日本全体が世界遺産化している気がする。
 図書館もいつのまにやら古本置き場、そして、ニートさんとホームレスさんと、爺さん婆さんばかりになってるもんな〜。
 日本の景気回復っていうのは、一部の人たちだけで、やっぱり、全体的にはどんどん寂れていく気がする。

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