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2006年1月31日 (火)

なんとも調子悪い

 今日は、何とも調子が悪い。二日酔いではない。昨日は、一杯しか呑んでいない。あんまり気持ちが悪いので休んでしまった。風邪かな? そうでもないと思うんだが、やけに疲れが酷い。最近、体が弱くて困る。

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2006年1月30日 (月)

神保町

 今日は休日だったので、神保町へ行く。いつも行く書店を見る。大通りから引っ込んでいるためか、本が多いのにすいている書店なので、私は好きなのだ。店としては、もっと人に来てほしいのだろうが・・・。ただ、この書店も、以前より規模が随分小さくなってしまった。置いてある本も種類が少なくなっているような気がする。
 夜は知人とお気に入りの店で呑む。この店も大通りから引っ込んだところにある。とにかく、大通りから引っ込んだところには、いろいろといいところがある。
 神保町も、昔ほど、わくわくするところじゃなくなっちゃった。やっぱり、本の業界は元気がないのかなあ。そういえば、一時、神保町はスポーツの町にもなったが、こっちの方も元気がなくなっているような気がする。あ、そういえば、楽器の町でもあると言っていた人がいた。電気街も今は秋葉原だが、元々はこの辺だったという話もある。
 神保町に美術館や博物館があるといいのになあと、ときどき思う。そうすれば、リピーターが増えると思う。

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2006年1月29日 (日)

バリアフリー社会にしないと日本は生き残れない

 今は、超未熟児でも助かるので、いわゆる障害者が増えているという話を、今日、知り合いとした。昔は家に閉じこもっていた、あるいは、閉じ込められていた人たちが、積極的に外に出るようになってきたということもあるけれど、それよりもっと、生まれる段階で、従来、助からなかった人が助かり、そういう人たちに障害が残るということが大きいという話になった。とくに、ここ5〜6年ですごい。
 高齢者の方も、従来、助からなかった人が死なないで済んでいる。しかし、死なないで済んでも、障害が残る人は多数いる。だいたい、私の父がそうである。
 このような社会になってくると、それを支える人たちも大変なストレスをかかえることになる。要するに、障害者・高齢者と心の病気とそれ寸前の人が増えるということである。これは、当人たちが必ずしも悪いわけでは決してない。社会として、しっかり対策を立てないといけない。
 自然な確率で生じるものは仕方がない。しかし、人災的な側面も多いのではないか。第一に食べ物が悪すぎる。これは食習慣の問題だけでなく、食べ物そのものに問題が多いと思う。あとは、空気が悪い。大気汚染なんか過去の話のように語られるが、決して、解決したわけではない。自動車の排気ガスだけでなく、室内の空気もかなり悪いと思う。
 それから、もっと悪いと思うのは、今の社会が、「気ばかり使って、頭や体を使わない」社会であることだと思う。ちょっとした計算でも、すぐ電卓を使う人がいる。また、何でもかんでもリモコンで、ちょっと歩けばいいだけのところも歩かない。駅にエスカレータがあるのはいいことだが、ほんのちょっとの距離でも乗る人がいる、というより、ほとんどだ。
 このままだと、呆けて、がんで、脳卒中で、目も歯も耳も悪く、心も病んでいるという人だらけになる。
 本当のことを言うと、バリアフリーとは、自分のことは自分でできるということだと思う。エスカレータもエレベータも、より「動く」ためにあるのだ。雨が降っている日に傘をさして歩くときに、自分は障害者だなどと言う人はいない。障害とはそういうものだ。雨の日の傘のようなものがいろいろ増えれば、人々の行動範囲は広がるのである。人間は動物である。動かなければならない。
 考え、行動する。この当たり前のことが復活しなければならない。人間にとって生きるということは、そういうことだ。そのためのバリアフリーだ。

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2006年1月28日 (土)

図書館の資料の選定

 昨日も今日も遅番。昨日、資料の選定についておほめの言葉をいただく。クレームだらけの昨今、こういう事は珍しい。近隣の他の自治体より資料があるというのだ。これは本当だ。幅広いタイトルを集めるために、無駄な副本はうちの自治体の図書館では買っていないからだ。でも、みんな、他の自治体からも押しかけて利用して、挙げ句の果ては、よその自治体であるにもかかわらず、つまらないことで苦情を言っていく。資料がいろいろあって、利用しやすくて、わざわざ別の自治体の図書館を利用しているなら、この方のようにたまには褒めてほしいもんだ。しかし、たまには殊勝な方もいるものである。
 ただ、私としてはもうひとつ言いたいことがある。自分が住民である自治体の図書館がだめだったら、住民として、その自治体にもの申すべきだろう。なんで、みんな、それをしないのか。ただ、利用しやすいからといって、他の自治体に行き、そこで、つまらない文句を言っていく。繰り返すが、自治体の行政サービスは商売とは違うのである。すべて、そこの住民税でまかなっているわけではないが、基本的には、そこの住民に第一に税金を還元するためにサービスを行っている。図書館も、道路と同じような公の施設であるが、この点は道路とちょっと違うと思う。ただし、情報のチャネルとしての図書館と考えれば、道路と同じような要素もある。だから、自分のところの住民だけに利用を限るのは、図書館としては偏狭な気がするが、それでも、道路と違って、優先度の違いはあると思う。なぜなら、図書館のサービスは、住民のおつむに直結することであって、住民のおつむの程度(いやらしい言葉では民度と言う)は、そこの自治のあり方に直結するのだ。だから、だめな図書館を放置して、よその自治体の図書館へ行って、くだらない文句を言うような人が住むような自治体の図書館はやっぱりダメになるという循環になるわけである。主権者意識や自治意識がなくて、自分の都合や利便だけで、物事判断しているということになるからである。
 このへん、みんなよーく考えてほしい。図書館の資料の選定に文句を言う人は多いが、それって、実は、住民の程度を反映しているんです。

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2006年1月26日 (木)

「行政改革」とは新たな利権システム

 また今日もおかしな人が来ていた。毎日毎日、どうなってんだろう?
 外国語の資料をある書店から買っていることについて、バックマージンをもらっているだろうとかいいがかりをつけている。はあ? 割り引いているだけでしょ。外国語の本だから、日本の本のように再販価格維持制度がどうのこうのという問題ではないわけで、割引が悪いわけではない。というか、直接買ってしまえば、本当はもっと安く買える。そのことを言いたいのだろうか? それだったら、私も納得する。しかし、バックマージンなんて、そんなに大量に買っているわけでもないからありえない。しかし、みっともないことに、わが自治体は、以前、逮捕者を他の委託関係で出しているから、疑われても仕方ない要素がある。でも、それがきっかけで首長も交替し、今、そんなことはほとんどありえないと思う。
 でも、わからんなあ? 最近の委託や指定管理者制度、PFI導入の強行は本当のところ、このおっさんじゃないが、私も、何か裏にあると疑ってしまう。「行政改革」「構造改革」というのが新たな利権の巣になっているのは確かだ。おっさん、攻めるなら、そういうところを攻めろ!

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ニートと図書館

 また日付が変わってしまった。
 今日もあいかわらず、無職っぽい客が多い。今の図書館は昔と大違いで、本当に貧乏くさくなった。
 回覧でまわってきた新聞の切り抜きで、政府が総額761億円もかけて、ニートの就業支援をするという。何とかセンターのたぐいをいろいろ設置するようだ。
 正直言って無駄な気がする。
 761億も全国の図書館で使わせてもらったら、いろいろなことができる。
 ニートやホームレスなんて自然に図書館に集まっているのだから、図書館に金をくれないかな。
 ニートやホームレスの根本的な問題ははっきりいって教育水準が低いこと。
 大学院卒のニートだっているじゃないかとかいう人がいるが、そういう人は本来、ニートとは言わない。そういう人の場合、世間よりその人の程度の方が高すぎるということもある。こういう個別事情のある人は個々に考えていくしかないが、一般的にダメな人は、はっきりいって教育水準が低い。また、集団生活になじめない人が多い。
 だから、むしろ、図書館で本を自分のレベルにあうところから読んでいって勉強した方が迂遠なようでいて、はやいのだ。
 だが、図書館に来るニート、ホームレスのダメさを如実に示しているのは、せっかく、図書館に来ているのに、ただボーッと席を占領しているだけだったり、読んでも、漫画かスポーツ新聞・週刊誌だったりするということだ。これじゃあだめだ。
 せめて、日本経済新聞とか、週刊ダイヤモンドとかエコノミストとか東洋経済とかでも読んだ方がいいんじゃないかと思う。もっとも、図書館でこれ全部そろえているところなかなかないが。経済関係の週刊誌なんか、昔よりはるかに読みやすくなっていて、しかも、ご親切なことに、毎年、ある時期が来ると日本経済入門のような特集をやる。あと、経済の基本的なことなどを書いてある本は、日経文庫などにいっぱいあるから、とりあえずそれから読んでいくとかしたっていいのではないか。みんなタダで借りられるのだし。ただボーとしているよりいいだろう。
 ほりえもんは逮捕されちゃったけど、彼の本でそのとおりだなと思ったのは、簿記の3級だか2級だかくらいなら勉強すれば取れるし、会社という組織にとってはごくごく基本的なことだし、やっといて損はないと言っていることである。私の母も経理をしていたから、このくらいのことは知っているが、まあ、みんなこの程度のことは、やることなくて困っている人はやればいいんじゃないのかなあ。
 ニートの人はコミュニケーション能力だとかそんなことばかり気にしているけれど、そんなのあんまり関係ないよ。正規の職員だって、えらーく地味な人間でほとんどしゃべらない人もいる。ちょっと見は暗い感じもしないではない。でも、その人は、いろいろなことを注意して見ているし、正確に、そして、誠実に仕事をしているから(そして速い)、みんなから評価されている。私はどちらかというと、注意力や正確さ(慎重さ)、そして一番大事なのは誠実さ(真摯であること)なのではないかと思っている。たしか、ドラッカーも真摯であることが経営者として最も重要な資質であると述べていたように思う。
 会社だとかいろいろな組織は、仕事をするところであって、人間関係うまけりゃいいというもんではない。人間関係がいくら良くたって潰れてしまえば終わりである。サークル活動やままごとじゃないんだから。だから、そんなことばかり考えるより、どうすれば、仕事の目的を効率的・効果的に達成できるのかと、注意と慎重さ(これはやらないという消極性ではなく、どんどん積極的に行動するけど、段階を踏んでタイミングよく、気を配ってやるということだ)と誠実さを持って事にあたる。これがすべてだと思う。それでも報われないことはあるけれど、見る人は見ている。
 たとえ、使われている身分であっても、提供する製品なりサービスがベストになるためにいい仕事をしようといつも思っていることがとりあえずは一番大事なのではないだろうか。いろいろと軋轢もあるだろうが。私が前、テレビで偽装請負の問題をやっていて、本当に酷いなと思ったが、いくつか、いわゆるニート的な若者にも感じた問題点は、怒った(キレた)時に、商品である携帯電話を床に投げつけて壊してしまったこと、それから、仕事をやめて家にいたら、ずっとテレビゲームなんかしているということである。こういう感覚はまったく理解できない。私もけんかするときはするけれども、商品を損なうというのは論外だし、不遇で家にいるならば、何よりも勉強なり読書なりをする。考えてみれば、こんなのは孔子だってそうなわけだ。孔子も基督も釈迦も、考え方によってはニートっぽいが、彼らが違うのは、不遇で人から受け入れられないような時でも、無為に時間を過ごさず、勉強するか修行するか、家の手伝い(基督の場合)などをしていたということだ。結局、ここらへんが人間の分かれ目だと思う。

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2006年1月24日 (火)

苦手なお客

 午前中、問い合わせの電話がある。
 ある著者の本で何かないかとのこと。外国人著者である。
 とりあえず、カタカナで検索するとないので、原綴がわかるか尋ねる。わからなさそうなので、とりあえず、電話を保留にして、同姓の著者のデータを見て、その綴りを確認し、また、検索するがやはりない。保留を解除して話すと、原綴がわかったようなので、今度はその綴りで大きな図書館の資料を検索してみる。すると原語の資料があることがわかったので、それを伝えると、翻訳はないのかと言う。そこで、今度は国会図書館を検索する。すると、日本語はないが、英語に翻訳されたものはあった。それを伝えると、なんでこんな基本的な本に日本語訳がないのかとか、この人に関する論文もないなどと、あまり文句を言われても困ることを言う。
 論文がないというので、国会図書館の雑誌記事索引を検索したのか尋ねてみると、その存在すら知らないようなので、検索してみる。1件だけヒットする。キーワードにはあがっているが、タイトルとどういう関連があるのかいまひとつわからない。でも一応、こういうのがあるから、国会図書館に行ってコピーをとってみたらどうかと言うと、一般の市民が読めるようにはなってないのはなぜかだとか意味不明でうらめしげな変なことばかり、くどくど言うので厭になってしまう。時間をもらって調べてから、また連絡すると通常は言うのだが、もう、鬱陶しいので終わりにしてしまった。というか、向こうの方が、ごちょごちょ言いながら終わりにしてしまった。実に辛抱のない人だ。
 私はしつこいので、グーグルでちょこっと調べたら、何と、研究会がつくられ、翻訳がサイトに載せてあった。また、その翻訳は、研究会で出している雑誌にも載せているようだ。全部かどうかはよくわからなかったが。もっとも、お客は、インターネットなんかとても使えそうにない(というか使おうとしない)人だったので、これをそのまま紹介しても無理だったろうが、その雑誌自体は国会図書館にある。記事索引の対象雑誌になっていなかっただけだ。もっとも、国会図書館が市民が利用できないかのように勝手に決めつけている(というか近所の図書館にないのが気に入らないのかよくわからないが)人だから行かないだろう。人によっては、県立図書館や国会図書館に飛行機に乗ってまでやって来る人がいるというのに。費用はかかるけど、コピーを送るサービスを国会図書館がやっていることを紹介しても、先入観で国会図書館をシャットアウトしているので話にならない。なんでもかんでも、一般の自治体の図書館に求められても無理な話だ。
 こういう客は苦手だ。年寄りで、関係ない文句をぐちゃぐちゃ言ってくる人だ。鬱陶しくて、かかわりたくなくなってしまう。この人もあちこちの図書館に電話をかけて、「ない」と言われたとか言っていたが、この「くどさ」と「いやみったらしさ」が嫌がられて適当にあしらわれたということだろう。
 なんか自分のお気に入りの本は、自分の近所の図書館に全部ないと気に入らないばかりか、そのことが、図書館が市民に本を手に入りやすくしていないかのように、いやみったらしく言われると付き合う気がなくなるのである。こういう人は、日本がいかにたくさんの本や雑誌を出版しているのかご存知ないのだろう。
 自分の要求を勝手に「市民一般の要求」に格上げして欲しくない。こういうひねくれた人というか、エゴイステッィクな人は、結局、どこへ行っても満足なサービスを受けられない。
 まったくもって不思議なのだが、こういう人は、くどくどとねちっこいわりには、短絡的にすぐ決めつけてしまい、人の話を聞かないのはなぜなのだろう。この人も、私が国会図書館の雑誌記事索引で1件あると言ったら、もともと、自分で「論文」と言っていたくせに、今度は、論文なんかじゃなく市民が読めるようなものなどとわけのわからないことを言っていた。だいたい、調べる前から、論文もないなどとどうして決めつけているのかさっぱりわからない。雑誌の論文や記事をすべて網羅的に検索できるものなど、現在のところないのだ。資料をさがすということは自動販売機でものを買うのとは違うのだ。それに、何かというと「市民」だが、要するに、「自分」が見たいということだろう。なんで、突然、自分が市民の代表のようになってしまうのだろう。
 なんかエキセントリックで疲れる客(とくに老人)が多い。

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2006年1月23日 (月)

長大な散歩をして来ました

 本日は、商店街をたどってたどって、ずいぶんと長大な散歩をして来ました。喫茶店をはしごしてしまった。
 週刊ダイヤモンドが、上流・下流の特集をしていたので、ざっと読む。
 要は、下流になったら固定されちゃうということ。
 夢も希望もないな・・・。
 図書館の場合、委託なんかだと、大した仕事はさせてもらえないから、スキルや知識は向上しない。とくに公共図書館はそう。確かに下流として固定される。
 正規で就職できないなら、せめて、大学図書館の派遣職員や非常勤職員になった方がまし。学術情報システムや、いろいろなデータベースを体験できるから。こういうことは公共図書館では全然できない。
 たまに、図書館の求人で正規スタッフを求める場合、英語とコンピュータについて条件をつけてくることがある。情報処理の資格を条件につけたりしている。これはシスアドとかではなく、コードを書く方の資格である。私の同級生も大学図書館のシステムを、自分でコードを書かされて頭かかえていた人がいた。だが、頭かかえたおかげで、その後の転職もいいところに行っていた。
 やっぱり、難しいことを自ら選ばなければ、いい仕事はない。データベースは金がかかるから、なかなか個人で経験するのは難しいけれど、大学にいる学生だったら、がんがん利用できる。学生のうちにどんどん身につけた方がいいだろう。そのためにわざわざ学生になるという考え方もあるかもしれない。英語や情報処理の資格だったら、これは本も多いし、自分でも結構、勉強できる。パソコンだって、昔に比べれば激安で、当人にさえその気さえあれば、プログラムだって結構作れるから、勉強の環境は昔に比べればすごくいい。
 ニートなんて言っちゃって、漠然と不安になっている人はとりあえずそんなことでも、せめてしてみたら? 株で儲けようなんてやめた方がいいよ。大学行っていない人は、奨学金なども利用して、まずはそういう学習環境の整った大学へ進学を目指したらどうかと思う。高校中退だろうと、勉強はやり直せるし、認定試験などで、大学へ行く道はあるわけだから。
 私の父などは、中学在学中に予科練に行ってしまったため、卒業は高等小学校だけだ。それでも、自分で勉強して、電気やいろいろな設備関係の資格を取った。これからは電気の時代だと思ったのだそうだ(なんか古くさい表現だが)。やりもしないのに、勝ちだの負けだのないだろう。

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2006年1月22日 (日)

進歩は競争と協力のバランスのもとにある

 情けない話だが、最近、休みは寝てばかりいる。まあ、前日、夜更かししているからいけないというだけなのだが。
 もう、けっこう前に、間抜けなことにウィンドウズXPがアドウェアだかスパイウェアにやられてしまい、ワクチンソフトの会社にも問い合わせているのだが、解決していないものだから、面倒くさくて、違う区画にいれてある超漢字4を使っている。
 超漢字4にもともとついているブラウザは、ある意味、大変見やすいのだが、機能が限られていて、できないことも多いので、ファイアーバードも載っけている。でも、こちらは字が非常に見づらい。それで、東雲フォントというのを入れてみたのだが、あまり変わらなかった。というよりも、超漢字の基本の明朝体にどうも、間違えて上書きみたいなことをしてしまったみたいで、元に戻せるかどうかもわからなくなってしまった。
 今、これもお問い合わせ中。
 まあ、実用上、大きな問題はないと言えばないけれど、「見づらい」ということは、大変ストレスだということがよーくわかった。この点が解決されれば、ずっと超漢字を使ってもいいんだけどなあ。
 なんで、超漢字を入れているかというと、やっぱり文字にはこだわりがあるのだ。
 図書館の職員だから、文字にはえらいこだわりがある。
 本の書名の中の一部の文字がゲタになるなんていうのは、とっても気持ち悪い。女の子向けの本の書名にときどきあるハートマークだとか、研究書にあるハングルと日本語が混ざった書名だとか、変体仮名だとか、まあ、ごく一部でしょと言われればそうだけれど、本というものの性格上、ごく一部のものがたくさんあるわけだ。
 本の名前も気になるが、人の名前も気になる。著者名、それから、利用者として登録する人の名前。私の大学の先生も、ついこないだまでは、名前の漢字がコンピュータでは使えなかった。昔、ワープロを使っていたときは、外字を作成して年賀状などを出していた。今でも、利用者で韓国の人や中国の人が来ると、まだ入らない文字がある。しかたがないからカタカナで書いておくが、これで、はがきなんか来たら本人はいやだろうなあ。手書きではがきを出すにしても、データベースを参照しているので、カタカナになってしまうのだ。
 情報技術というのは、文化と非常にかかわるから、あまり、「競争」的な側面ばかり出されると困ると感じるときがある。競争が進歩の源というけれど、文字なんか競争しても意味がないわけだし、また、それぞれの固有の文化的伝統を、そういうものを理由にして変えろとか捨てるというのは納得しがたい。
 そうそう、だから、今の民営化カルト教団による、図書館の委託・指定管理者化というものも、はなはだ迷惑だ。図書館は、「競争」によって発展するというよりも、「協力」によって発展するところである。どんなにすごい図書館でもすべての書物を集めることはできないのだから、すべての図書館が協力体制を組んだ方が話がはやいのである。図書館の進歩にかかわることは、分類や目録の共通化とか標準化とか、相互の資料貸借とかそういうことなのだ。
 なんかやたらと疲れるのは、競争ばかりがすべてと思っている社会に対してうんざりしているからだろう。私はパン食い競争がどうのこうのなどというくだらないことには関心がない。競争じゃない世界というのは、協力であって、それは、負けてもいいんだとか、行きすぎた平等とか、そういうくだらない話ではない。協力して、資源を共有しパワーアップした方が全体的に進歩するという話なのだ。
 実に、進歩とは、競争と協力のバランスによる。飛行機だって、電車だって、バランスを取って前へ進むのだ。そうでなければ、墜落するか、脱線する。

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徘徊老人

 また、日付が変わって書くことになってしまった。
 今日は、雪だったが、休日に指定されていたので、ある意味、ラッキーだった。昼過ぎまで眠ってしまう。雪がやむまで外に出る気もしないでいたら、夜になってしまった。
 利用者で知っている人から電話がかかってくる。ご両親が介護度が相当高い大変な状況になっている人だ。いよいよ、もう特別養護老人ホームだろうという話をしていた。もう、すでに大変な出費だそうである。その方の知っている、別の自治体の図書館の職員の母親が認知症で、もう2週間も行方不明だそうである。警察にも自治体にも言ってあるが、自治体の職員に心ないことを言われたそうだ。その自治体とは、私の勤めている自治体である。部署は異なるが申しわけない。
 こんな雪が降るような寒さの中に2週間。ということは、かえって、どこかにいるのではないだろうか? 警察や行政だけではあてにならないから、信頼のおける探偵とかネットも駆使した方がいいのではないだろうか? 徘徊はもう常習犯なのだそうだが、ここまで、わからないとなると、変なところにひょっこりいるのじゃないだろうか? 警察や行政がそういうところをしらみつぶしに探すなんていうことはしないだろう。第一、それをするなら、家族にいろいろ聞きまくっているはずである。
 明日(というか今日)はこの方に連絡をとってみて、余計なお世話かもしれないが言ってみようかなと思う。
 それにしても、毎日毎日、どうしてこういう話ばかりなのだろうか・・・。
 国民は公務員削減に賛成しているが、このまま減らせば、こんなことには誰も対応しなくなるということを知っているのだろうか・・・。
 ライブドアの件で、行きすぎた資本主義なんていうものが、結局、どういうものかわかりそうなものなのに。旧参謀が沖縄で自殺なんて言っているが、あんな自殺の仕方をするものか! 殺人に決まっている。
 だいたい自殺や事故扱いされているもののかなりの割合が殺人だ。港に車ごとドボンなんていう話も、誰かがやったに決まっている。そこまで間抜けな事故なんて、そんなにあるわけない。
 私の父も脳梗塞のうえ、前立腺がんになってしまったが、今は薬で落ち着いている。まわりの人に、もっと酷い状況の人が複数いるので、自分が不幸だとかそういう認識はなくなってしまった。ただ、時間が経つのが恐ろしい。前立腺がんに効く薬もいつまでも効くというものでもないので、そこらへんがやっぱり怖いのだ。当人にも自分にも言い聞かしているが、Aという薬が効かなくなってもBという薬が効くことがある。それが、効かなくなってもCという薬が効くこともある。また、すでに効かなくなった薬でも、量を変えたり、他のものと組み合わせたりすると効いたりすることもある。だから、くよくよせずに、薬が効果をあらわすように、また、副作用がなるべく少なくてすむように、体調を整えておくため、食事に気をつけ、せめて野菜はたくさん摂ってくれと言っている。一日400グラムは目指してほしいので、野菜ジュースで補ってくれと言っている。これは意外と素直に守ってくれている。病院で検査しても、体調の方は悪くないと言われている。
 変な健康食品なんか高い金出したって、ダメだと思う。それよりも、食事に野菜や山菜や海藻、酢の物や大豆などを豊富に採り入れることの方が大事だと思う。あとは、お笑いとよく寝て、酒・タバコをやめて、こまめに体を動かすこと。でも、こういうことが現代人はできない。

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2006年1月20日 (金)

進化する図書館のコンピュータ・システム

 19日は館内整理日で休館日だったのだが、この館内整理日を利用して、次期システムに向けて、各社からプレゼンテーションを受けている。この日の会社は、以前見たときとは、まったく構想を新たにして作ったものだった。ここまで作り込んでいるのかというほどできている。ただし、これは職員が操作するさまざまな業務で、利用者向けの部分はそう大きな変化はない。この傾向は他の会社にも共通して見られる。よほど注文のうるさいところがあったんだなあと勝手に想像する。ただ、一方で、利用者向けの方はどうも、みんないまいちなのである。これは、図書館側の利用者に対する視点の無さも影響しているのだろう。テーマやカテゴリー(分類)で検索するという利用者にとっては一番多いであろうニーズをくみ取っているとは言いにくいところがある。件名標目とか日本十進分類といった、日本の図書館の一定の成果があるにもかかわらず、それを十二分に生かしているとは言えないのである。本当は、こういうものこそ、もっともコンピュータにフィットしているのに残念だ。
 19日の夜は、以前の職場の人たちが集まっての新年会。2次会はバーに行って、結構遅くまで呑む。委託だの指定管理者だので、没落していく図書館の世界をどうしたものかという話になる。
 20日、書架整頓やら除架やら、それから、来週、中学生の1学級が調べものに、グループに分かれて来るというので、そのときに必要そうな本を探して予約をかけておく。テーマの候補のリストを先生からいただいているが、率直に言って、これを本で調べるのは、一般的な中学生ではかなり難しいかもしれないというものも結構並ぶ。もっとも、いわゆる、できる生徒だったら、どうにかこなすかもしれない。でも、想像する力・考える力と辛抱・粘り強さが必要だ。この2つは、今の子どもや若い人に決定的に欠けているものだ。図書館で何かを探す、というか、一般的に、調べるということは、自動販売機でものを買うようには行かないのである。果たしてうまく行くのやら。総合的な学習と言っても、どうも、進学校の生徒などだったらこなすだろうが、そうでない生徒には難しい気がする。
 3時くらいから、職場環境測定をする。これは、私の安全衛生委員としてのお仕事だ。普通、何も問題はないのだが、湿度が32パーセントしかなく、これは基準を下回っている。40パーセント以上はないといけないのだ。冬だから、なおさらなのだが、それにしても低すぎる。今までこんなことはなかったはずなのだが。どうりで、手がかさついたりするわけだ。今まで、私はそんなことはなかった。湿度が低いのはなぜかと考えて、どうも人員の大幅削減で事務室内にいる人間が激減したためではないかと思った。人間が多いだけで温度も湿度も変わる。二酸化炭素などは、もっと露骨に影響が出る。以前いた職場はお客が多すぎるために、二酸化炭素が基準をオーバーしてしまうことがあった。
 なんやかんやとスムーズに行かないなあ。

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2006年1月19日 (木)

図書館の未来は

暗い話が多いのだが、17日と18日はいろいろ忙しく、展望も心の中に見えた。
 17日は休みをとって、図書館のビジネス支援サービスに関するセミナーに行く。神奈川県立川崎図書館も見学する。何年ぶりだろうか? 科学技術・産業に特化した公共図書館なのだが、もっと利用されていい図書館だ。なんで、みんなこんないい図書館を知らないのだろうか。建物は古いが、サービスの中身は素晴らしい。
 セミナーは大盛況で、足立区立竹ノ塚図書館のサービスを利用して、リサイクルきもののお店を立ちあげた方も見えていた。緊張気味ではあったが、商売への熱意を非常に感じた。素晴らしいことだ。こういう図書館サービスは、なかなか出しにくいアウトカム指標を出せる。図書館が事業を起こす支援をして、その事業が利益を上げれば、それは税収と地域価値の増大という具合に増えて戻ってくるのだ。
 18日は、おはなし会。今日は、ハーフの子どもも来ていた。うちの図書館で、英語のお話もあることを聞きつけたのだろうか。ボランティアで英語でお話をしてくださる方が来てくれているのだ。私は日本語でやったが、今日も、なかなか受けて嬉しかった。ちょっと話が短かったため、もう終わりと言われたので、もっとやりゃあ良かった。準備していた本はあったのだが、工作の時間が少なくなるといけないと思い、切り上げた。子どもたちが工作に取りかかり始めたころ、私のお話を横で聞いていた、ご利用のお客様から、お話の仕方について尋ねられた。小学校1年生相手に学校でやるのだが、はじめてなのでどうすりゃいいかわからないというのだ。
 リストを手に持っていたが、子どもがすでに知っていそうなものも載っていたため、今、自分がやった本も手渡してしまい、何をやったって別にかまわないが、自分が読んで面白いものにした方がいいということをまず言った上で、1年生だったら、絵にインパクトがあるもので長すぎないものを選んだらいいと言った。写真の絵本なんかも面白いと言っておいた。読むときは、本に光が反射しないように注意することと、それから、全体の子どもに見えるように配慮すること、ゆっくり読むこと、ときどき子どもの方を見て反応を見ながら進めること、棒読みではなく適切なメリハリをつけることといった基本的なことを伝えておいた。
 紙芝居もというので、適当に選んで渡して、紙芝居は、これは「芝居」だから、芝居がかってやってよい、だから、演出を十分すること、演出ノートがたいていの紙芝居についているから、それに従うこと、紙を抜くときに、はやく抜いたり、ゆっくり抜いたり、少しずつ抜いたり工夫すること、場面によっては舞台をゆすってみるなどの効果をつけることなどをアドバイスした。
 まあ、みんな当たり前のことばかりであるが。
 それで、自分の話ばかりじゃなんなので、そういうことを説明してある本を1冊取って、こんなのも目を通しておいたらどうでしょうかと渡しておいた。
 夜、とある研究会があったのだが、1人を除いて誰も来ない。そこで流会とし、その1人と呑んでいた。いやな客の文句などをぶちぶち言っていたが、17日の話などをして、図書館のビジネス支援サービスは明るい未来が見えるよと言っておいた。人も紹介すると言っておいた。
 いや、ほんとに、本業じゃギリギリいじめられているが、なんとか課外活動で広げられるものはありそうだ。行政改革なんてくだらないものは、図書館をだめにするだけだし、あれは、本当の行政改革じゃないから、適当につきあっていて、課外活動だって一所懸命やったる。職務専念義務がどうのこうのと言ったって、その本業をやるなというのが今の行政改革なのだ。専念させてくれないのである。公務員に仕事をするなと言っているのが今の行政改革である。最終的には行政サービスをなくしてしまえということなのだから。はやくみんなそれに気がつかなければいけない。あれは、資本主義的アナーキズムなのだと。
 だから、あんな小泉とか気違いにつきあうのはほどほどにして、本当に日本の未来のためになることをしたいと思う。でも、気違いたちが教育基本法や憲法まで変えて妨害しようとしているから前途多難である。
 国民がみんな特別権力関係みたいなもとに置かれかねない、反自由主義の改定であることにはやく気がつかないといけない。
 自由の砦=図書館を何としても守らねば。

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2006年1月16日 (月)

出版物流通合理化

 本日は休日。図書館は月曜休みのところが多い。
 最近は、この日も開けろとうるさいが、うるさい人たちは忙しいのではなく、無職で行くところがない人たち。図書館にいれば、冷暖房費を節約できるのでやって来るのだ。
 そんな人たちまでかまう必要があるのだろうか?

 書評を頼まれた本のまだ読んでいない部分を読み切った。出版流通に関する本なのだが、やっぱり、今ひとつ、よくわからない業界だと思った。
 ある意味で、官公庁である図書館よりよほど遅れているような印象さえ受ける。図書館は官公庁といっても、システム化は一段落しており、今後、考えるとすると、本当の意味での全国ネットだろう。
 なんでもかんでも民間の方が優れているように言う人がいるが、本当にそうか?
 だいたい、本の管理にバーコードによるシステムを採用したのは、図書館の方がコンビニより先である。今、ICタグによる管理も一部で採用されている。
 民間には競争というものがあるから、それが、かえって足かせになる場合もあるのだ。とくに、全体で協力して行う必要のあるものは、そうだ。官公庁だからこそ、かえってスムーズに行く場合もあるのである。

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2006年1月15日 (日)

名前は忘れる

 今日も、資料相談カウンターに座ったが、書名も著者名も出版社名もみんな忘れて、中身のあらすじだけ覚えている本の問い合わせを受けた。こういうのは、とても大変だ。索引がほとんどないから。ただ、ごくごく一部、あらすじで検索できるシステムもある。たとえば、国際子ども図書館のデータベースなど。
 でも、こういう整備された索引では、ほとんどひっかからないので、適当にブログでも検索した方が誰かが書いていることがある。それで、とりあえずググってみたけど、どーも・・・。
 あきらめて、全館に向けて応援を依頼するメールを出すが、そこらへんにいる職員にも尋ねてみた。すると、どうもどんぴしゃなものを覚えていた人がいた!
 最終的には人力だなあ・・・。
 今、本の検索は便利になったけど、中身はまだまだだ。アマゾンなんかで中身検索も始まったが、それでもまだまだ。
 そして、人間というのは、見事に中身を忘れ、どんな装丁だったかとか、色だったかとか、厚いとか、このくらいの大きさとかそんなことばかり覚えている。
 人間の検索キーというか索引はそういうものでできているのだ。
 検索システムというものに、根本的な一考が必要だ。本の場合でも、こういうのは目録の記入の要素になっていないか、なっていても、索引化されていないので検索できなかったりする。音楽なんかもっと極端で、出だしのメロディー、ないしサビだけ覚えているという人はいっぱいいるだろう。こちらの方はさる音楽大学で一定対応した検索システムも実はある。
 いずれにしろ、「名前は忘れる」。名前は本来、識別するためにあるのだが、人間はそういうことは忘れる。とにかく、名前によらない世界の認識というものを考察してみる必要がある。これは、案外、重要な問題だ。単に「感覚的な」ものとして済ましてはいけない。

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図書館の本はなくさないでほしい

 今日(というか昨日)、登録に来た方で、もし借りた本をなくしてしまったら、どうするのかと尋ねている方がいた。丁度、私が資料相談カウンターへ交替で出てきた時間だった。カウンターにいたもう一人の職員は、その場合は、現物で弁償してもらうことになると言った。すると、その人は、ある出版社の名前をあげて、この出版社の文庫はあまり売っていないけど、どこで売っているかと尋ねた。もう一人の職員は知らないようだったので、私が神保町のあるお店の名前を伝えると同時に、だけど、この文庫は絶版が多いからなくさないでほしいと言ったら、「なくしませんよ!」となにやら不機嫌だった。だったら、なんでそんなことを尋ねるのかなあとも思ったが、たぶん、私が出てくる前になにやら話があったのだろう。
 この人は、べつにそういう人ではないと思うが、なくしたら金を払えばいいんだろうみたいに思っている人がいる。
 そういう問題ではない。図書館はそもそも営利事業でやっているのではない。だから、お金をもらったところで、問題は解決しない。お金をもらったからと言って、損失がなくなるというわけではないのである。絶版の本だったら、通常のルートでは買えない。古本屋で買えればいいが、すべての本を古本屋で買えるわけではないし、古本はもとの値段より安いとは限らない。貴重な本だったら、もとの値段より高いのである。図書館にはそういう本だってあるのだ。
 それを、なくしちゃったら、手続き的にすませればいいみたいに思われても、正直、困る。お店ではないのだから、それなりにコレクションとして買っているのだから、なんでもいいから代わりのものをよこせばいいというものではない。
 そういえば、以前、何万円もするような高い本を濡らして返してきたじいさんがいた。さすがに、苦言を呈したら、なんで言われているのかわからないようだった。弁償を要求してもよかったのだが、はっきり言って、貧しそうに見えたので無理そうだからそれは言わず、気をつけてほしい旨言ったのに、全然わからないようだった。それどころか、何が悪いんだと言わんばかりに不機嫌な顔をしている。呆れた人だ。だが、おそらく、他人の物ばかりでなく、自分の物も同様にぞんざいに扱っているのだろう。そういうのが板についているような暮らしをしているのだろう。そういう人には、当たり前の事を言っても無駄である。実に困ったことだ。
 一方で、文庫本を濡らしてしまったから、弁償すると自分から言ってきた殊勝な方もいらっしゃる。その方はその日のうちに買って持って来た。同じ人間でも雲泥の差があるもんだ。本当に同じ人類とは思えない。
 呆れるのは、借りた本をなくした人で、一言も謝らない人だ。全然すまないと思っていない。それどころか、お金では受け取れないので、現物を買ってきてくれと言うと、ひどく不機嫌になったり、怒り出す人がいる。だって、自分の責任ではないか? 何を考えているのだろう? また、本を又貸ししておいて、その相手が返さないと言って、自分にはまるで責任がないようなことを言う人もいる。そもそも又貸しなんてしてはいけないのだ。子どもならまだしも、大人だったら常識である。
 こういう常識のない人は、話し方や行動からして変だ。いつも手をゆさゆさゆすっていたりしている。品性というものは、良くも悪くも隠し切れないのか、あるいは、一種の行動障害とか情緒障害とか人格障害とか発達障害とでもいうようなものなんだろうか?
 とにかく、毎日毎日、呆れ果てる人に出くわすが、どの客商売もそんなもんなのだろうか? 役所から異動してきた人は、役所には、もっとひどい人が来るので、図書館なんか全然いい方だと言う。一種のゆすり・たかりみたいな人がいっぱいいるのだろう。そういう人たちとはとりあえず関係なくて幸せだ。

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2006年1月13日 (金)

身辺整理の本

 今日は、資料相談カウンターの当番だったので、いろいろなことを尋ねられた。
 なかでも、印象に残っているのは、「身辺整理の本」。
 最初、近頃、流行りの収納や「捨てる技術」みたいな本だと思って、お話をしていたら、自分の部屋は、友達が来ても、みんなきれいというくらい片づいているとおっしゃる。
 なんか、自分が死んでしまってから、困らないようにとのことだが、明るく話されているので、私も明るく対応したが、まさか、がんとかそういうのじゃないだろうなあ。
 とにかく、部屋はきれいなら、財産とかそういう関係かと思って尋ねてみると、もう、すっかりそっちの方も手を打っていらっしゃるとのこと。
 はて?と思って、とりあえず、ある1冊をご案内し、予約しておいたが、後でその方がお持ちになった本を見ると、要するに、もっと心の問題としての本だった。これ以上はプライバシーにかかわるから書かないが、結局、最終的には、そういうものの整理が一番必要なんだろうな。でも、フィットする本は意外と少ないかもしれない。
 まあ、今日は変な客もいっぱい来たけど、この方がいい方だったので、いい一日だった。

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2006年1月12日 (木)

残虐な世界へのカウント・ダウン

 今日も当番ではなくフリーだったので、書架整理やら除架、排架、予約の処理(発注なども含め)等をちゃんぽんで行う。
 電話も多く、子どもに見せるための七輪の写真の載っている本はないかとの問い合わせを受けた。民俗学やアウトドア関係などの本から拾って来る。他の図書館の本にも予約を入れ、他の図書館にも協力を依頼するメールを出す。
 七輪が出てくる昔話とか紙芝居とかがあるといいとも言われているので、これも探さなければならない。ただし、これは、そういう索引があるわけでもないので、それらしいものを書誌などを頼りに勘で探さないといけない。これは宿題だ。ヒント探しに適当にネットも見ておこう。
 夜は来年度の定数について、組合側と館長とで話。削減必至らしい。
 行政改革とは人と金を減らすことと言い切っていた。情けないが、教育次長でさえ、そう言い切っていたから、そうなのだ。仕組みを変えるのが改革ではないかと言ったが、面倒そうな顔をしているだけだった。私は、2館セットにして1つの組織とし、館長は1人とすれば、係長ポストが1つ減り金がかからないではないかと言ったが、厭な顔をしていた。
 ついでに、だいたい行政改革推進課なるものをまるごと委託してしまえばいいではないかと言った。リストラは民間の方がすでにやっているのだから、それ自体、民間委託でやればいいのだ。人事だの総務だのも民間委託してしまえ。図書館などを勝手に末端扱いして、そういうところに矛先を向けるよりも、先に中心部を突破してしまえ。福祉などは、ケースワーカーが国の基準より沢山抱えているそうで、残業時間も100時間を越えたりしているそうだ。そういう問題を早く解決すべきだが、全然その意志はないようだ。そもそも正規職員を採用していない(定数の締めつけがあるからできない)ので、人がいないのだそうだ。
 もう、これからは、ひたすら残虐な世界が待っているだけだ。
 国が進めている構造改革などというものは、小さな政府をこえて、無政府主義(アナーキズム)である。
 国民は、これから、この寒空に素っ裸で放り出されるのだ。そういう時代の到来の、カウント・ダウンが始まっている。みんな、本当に気がついているのだろうか?
 これから暖かい部屋にいられるのは、六本木ヒルズの中にいるような人だけになるというのに。みんな考えが甘すぎる。でも、これが、国民自らの選択なのだから、自己責任でしょうがない。
 

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司書日記始めました

 こんな夜中に司書日記を始めます。 今日は(というより昨日は)、一日中、本を書架に戻したり、書架整理をしたり、満杯の書架から中央館へ送る本を抜き出したりという感じだった。そして、ときどき、選定をし、予約の処理をした。それだけで一日が終わってしまった。 手がやたらと汚れて、何回も洗ったら、かさかさになってしまった。今までは、お客さんにも「あんた、ピアニストみたいな手してるな。」と言われたのに、さすがに歳なんだろうか?  図書館の仕事をデスクワークで汚れることのない仕事と勘違いしている人は、何のことだかわからないだろうな。座っている時間の方が今日は断然短かった。  汚れるといえば、このあいだの9日に、お客さん用のコピーのトナー回収箱が一杯になってしまい、コピー機が止まった。4月に異動してきたときに、この件は聞いていなかった。滅多にないことだし、祝日で出勤している常勤職員も私の他は1人だけで、その人もわからなかったので、少々慌てたが、サポートセンターに電話したら、場所を教えてくれた。こんなところに隠れていたのかというようなわかりにくい場所でびっくりした。ところが、換えの容器が見当たらない。仕方がないから、中のトナーをビニール袋にでも入れてしまえとなったが、相方が用意したビニール袋が思いがけず穴が開いており酷い目にあった。こぼしてしまったのが事務室内であったことが不幸中の幸い。  ところが、今度は、電気掃除機がどこにあるかわからず、仕方がないので、雑巾でごまかしておいた。カーペットに色が付いちゃうのだが、ほっておくと、粉が舞ってしまうので、当座これでいいやとやっつけ仕事だった。おかげでこの日はろくろく仕事が進まなかった。  掃除は委託業者の方がいつもやってくれるもんだから、こういう時だめだな。それに、いつもは箒で済む程度だから、ちょっぴり慌てた。これくらいのものはちゃんと確認しておこう。ダメ・ポイントを稼いでしまった。ただ、今日(というか昨日)、出勤したら、カーペットは乾いて、汚れの跡は意外となかったので、とりあえずは安心した。

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